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ビスク・ドール(英語: Bisque doll、フランス語: Poupée en biscuit)は、19世紀にヨーロッパのブルジョア階級の貴婦人・令嬢たちの間で流行した人形である。前身にあたる陶器の人形は1840年代よりドイツで作られていた。磁器製であったことに端を発して、チャイナドール(ポーセリン人形 ・磁器人形)とも呼ばれる。これらは100年以上が経過した現在、アンティーク・ドールと呼ばれる。
ビスク・ドールの「ビスク」とは、お菓子のビスケットと同じく、フランス語の「二度焼き=ビスキュイ(biscuit)」が語源である。人形の頭部、場合によって手や全身の材質が二度焼きされた素焼きの磁器製であったことに端を発している。当初は陶土を型に押し込んで作られたが、後に量産可能な液状ポーセリンの流し込みで作られるようになった。前者をプレスドビスクといい、後者をポアードビスクと呼び区別している。ポアードビスクの技法は1885年頃からあるようである。
元は衣服の宣伝用にミニチュア版の衣装を着させる目的で作られた観賞用の人形(大人の女性の姿をしたファッションドール)だったが、1855年のパリ万国博覧会に出品された市松人形の影響や、新富裕層の台頭などの社会的事情もあいまって、子供の姿をしたベベドールが登場した。
可動性の高いコンポジションボディのドールが作られ、玩具として量産された。
1880年代に、ジュモー、ブリュ、ゴーチェ(Gaultier)などフランスのビスクドール製造は黄金時代を迎えた。
ウジェーヌ・アジェの残した当時の写真の中に、安い物も取り扱う百貨店ボンマルシェ(仏語ではcheapと言う意味)がドイツ製のビスク人形を店頭に並べている様子がわかる。日本でも、海外への輸出のため「モリムラブラザーズ」[1]などが製造していた他、和製ビスク・ドールと言われている「サクラビスク」も作られた。しかし、やがてコンポジション・ドールを経て、ゴムやセルロイド製のより廉価な人形が量産され、1930年頃には製造されなくなってしまった。
1927年(昭和2年)にアメリカから日本へ親善目的で贈られた友情人形(日本では通称「青い目の人形」と呼ばれている)は大半が親善団体が指定したメーカーの既製品(コンポジション・ドール)を元に手を加えられたものだが、少数ながらビスク・ドールも贈られている。
現在でもビスク・ドールの人気は根強く、ドイツ製の人形は数十ドル程度から手に入るが、骨董的価値及び美術性・希少性に応じて、ブリュやジュモートリスート(ロングフェイスジュモー)は、数万ドルで取引されている。
アンティーク・ドールおよび、復刻品のレプリカ、リプロダクションもビスク・ドールと呼ばれる。アンティーク・ドールの呼称は、アメリカで関税法が変更された1930年以前の製造物に対してのみ使う事が許されている。
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