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イタリアのサッカー選手 ウィキペディアから
アレッサンドロ・マトリ(Alessandro Matri, 1984年8月19日 - )は、イタリア・ロンバルディア州サンタンジェロ・ロディジャーノ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。ポジションはフォワード。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Alessandro MATRI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1984年8月19日(40歳) | |||||
出身地 | サンタンジェロ・ロディジャーノ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2007 | ミラン | 1 | (0) | |||
2004-2005 | → プラート (loan) | 32 | (5) | |||
2005-2006 | → ルメッツァーネ (loan) | 34 | (13) | |||
2006-2007 | → リミニ (loan) | 28 | (4) | |||
2007-2011 | カリアリ | 125 | (36) | |||
2011-2013 | ユヴェントス | 69 | (27) | |||
2013-2016 | ミラン | 15 | (1) | |||
2014 | → フィオレンティーナ (loan) | 15 | (4) | |||
2014-2015 | → ジェノア (loan) | 16 | (7) | |||
2015 | → ユヴェントス (loan) | 5 | (0) | |||
2015-2016 | → ラツィオ (loan) | 19 | (4) | |||
2016-2020 | サッスオーロ | 73 | (13) | |||
2019-2020 | → ブレシア (loan) | 8 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2011-2015 | イタリア | 7 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ACミランのプリマヴェーラ出身。デビュー戦は2003年5月24日に行われたセリエA第34節(最終節)のピアチェンツァ戦。当時ミランはチャンピオンズリーグの決勝を控えており、この試合には控え組で挑んだため、出番が回ってきた。
同じミランのユース選手のマルコ・ボリエッロやニコラ・ポッツィに比べると目立つ存在ではなかったため、2004-05シーズンはセリエC1のACプラートにレンタル移籍で出される。翌年もC1のACルメッツァーネでプレーし、13ゴールを挙げた。2006-07シーズンはセリエBのリミニ・カルチョFCに所属し、ここでも活躍。2007年7月3日に移籍金230万ユーロでカリアリに加入。
カリアリではロベルト・アクアフレスカ、アンドレア・ラッツァーリらと攻撃を牽引し、カウンターでの楔のプレーやポストプレーなどでチームに貢献した。3年目の2009-10シーズンには7試合連続ゴールを含む、38試合で13ゴールの活躍で、ミラン復帰やイタリア代表入りも囁かれるようになった。2010-2011シーズンも開幕から好調で前半戦で11ゴールを上げた。
移籍期間最終日の2011年1月31日、ユヴェントスへのレンタル移籍が発表された[1]。シーズン終了までのレンタル移籍で、1550万ユーロでの買い取りオプションがつけられた[2]。背番号はカリアリ時代と同じ32番である。2月2日のアウェーのパレルモ戦でデビューした。リーグ戦16試合で9ゴールを記録し、ファビオ・クアリャレッラと並んでチーム得点王となった。6月22日にユヴェントスへの完全移籍が発表された。2011-12シーズンは得点こそ10得点だったものの、ミルコ・ヴチニッチとともに2トップを組み、リーグ優勝に貢献した。
2012-13シーズン終了後、ユヴェントスはカルロス・テベスやフェルナンド・ジョレンテといった実力者を前線に獲得。出場機会が大幅に減ったため、2013年8月29日、ACミランの公式チャンネルでマトリのミラン復帰が発表。翌日、正式に移籍が決定[3]。背番号は9番である。カリアリ時代の恩師、マッシミリアーノ・アッレグリとの再会となったが、15試合で1ゴールと期待外れに終わった。
2014年1月、マリオ・ゴメスやジュゼッペ・ロッシの怪我による離脱でFW不足のACFフィオレンティーナに半年のレンタル移籍が決定[4]。背番号はカリアリやユヴェントスでつけていた32番。
2014年7月、広州恒大足球倶楽部に移籍したアルベルト・ジラルディーノの後釜として、ジェノアCFCにレンタルでの加入が決定[5]。
2015年1月の移籍最終日、セバスティアン・ジョヴィンコの移籍に伴いFWの駒不足となったユヴェントスにレンタルでの復帰が決定[6]。恩師マッシミリアーノ・アッレグリの下でプレーするのはこれで3度目となる。 2015年5月20日に行われたラツィオとのコッパ・イタリア決勝戦では延長前半に勝ち越し弾を決め、優勝に貢献した。
2014-15シーズン後、ミランに復帰。アンドレア・ピルロが背負っていた21番を着用するなど意気込みを見せていたが、カルロス・バッカやルイス・アドリアーノ、マリオ・バロテッリの獲得により競争が激化。
2015年8月、SSラツィオにレンタル移籍が決定。
2016年8月16日、USサッスオーロ・カルチョに移籍した。
2019年9月2日、夏の移籍期間の最終日にブレシア・カルチョへレンタル移籍。2020年1月31日、レンタル移籍期間終了と同時にUSサッスオーロ・カルチョを退団した[7]。
その後無所属の期間が続いたが、2020年5月6日に現役引退を表明した[8]。
イタリア代表の一員として2011年2月9日に行われたドイツ代表との親善試合に招集されたが、出場機会はなかった。3月29日のウクライナ代表との親善試合で後半途中に出場、代表初ゴールを挙げている。
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