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ドイツの軍人 ウィキペディアから
アルフレート・ハインリヒ・カール・ルートヴィヒ・フォン・ヴァルダーゼー伯爵(Alfred Heinrich Karl Ludwig Graf von Waldersee、1832年4月8日 - 1904年3月5日)は、ドイツ帝国の軍人。陸軍元帥。ドイツ帝国の陸軍参謀総長を務めた。義和団の乱後に清国に駐屯した8ヶ国連合軍の総司令官として知られる。
ヴァルダーゼーはドイツ帝国で最初の「政治的」軍人として知られている。前任者大モルトケにも政治的意欲はあったが、ビスマルク首相のイニシアチブに従っていた。ヴァルダーゼーはフランスがその軍事力を再建する以前にロシアに対する予防戦争を行うことを主張しており、そのためビスマルクと対立してその倒閣に参加することになった。ヴァイマル共和政時代にヒンデンブルクやルーデンドルフが登場する以前は、政界でもっとも成功した軍人といわれている。
日露戦争勃発の直後に死去したが、死の直前にロシアに対する日本軍の作戦計画私案を立案していた。のちにシュリーフェン参謀総長はヴァルダーゼーの従兄弟に対し、日本軍が実際に採った作戦計画がヴァルダーゼー私案と一致していたと述べている。前任者モルトケと後任者シュリーフェンが高名なため、評価されることは少ないが、作戦能力はこの二人に劣らず優れていたといわれる。ヴァルダーゼーの対露・対仏戦略は後任のシュリーフェンに受け継がれて「シュリーフェン・プラン」として結実し、第一次世界大戦冒頭のドイツ軍の基本戦略となった。
軍職 | ||
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先代 ヘルムート・フォン・モルトケ |
ドイツ帝国陸軍参謀総長 1888年 - 1891年 |
次代 アルフレート・フォン・シュリーフェン |
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