アルテュール2世 (ブルターニュ公)
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アルテュール2世(Arthur II de Bretagne、1261年7月25日 - 1312年8月27日)は、ブルターニュ公。ジャン2世と妃ベアトリス・ダングルテールの長男[1]。1275年よりリモージュ子爵、1305年からブルターニュ公。
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生涯
父の急死にともない1305年に継承した。しかし、彼の治世は静かで短期間に終わった。彼は聖職者への税金を引き下げた。
彼は1312年にリル城で亡くなり、ヴァンヌのコルドリエ会派修道院に埋葬された。
彼の大理石製の美しい墓と横臥像は、フランス革命時代に荒らされた。墓の資材は道を舗装するために使われたが、墓の再建が行われ、今では時々一般公開されている。
子女
1275年、トゥールにて、リモージュ子爵ギー6世とモリノ女領主マルグリットの娘であるリモージュ女子爵マリーと結婚[2]。3子をもうけた。マリーとは1290年に死別。
- ジャン3世(1286年 - 1341年)[2] - ブルターニュ公
- ギー7世・ド・リモージュ(1287年 - 1331年) - リモージュ子爵、パンティエーヴル伯。ジャンヌ・ド・パンティエーヴルの父[2]。
- ピエール(1289年 - 1312年) - アヴェーヌ領主[2]
1294年、スコットランド王アレグザンダー3世の未亡人であったヨランド・ド・ドルーと結婚[3]。6子をもうけた。
- ジャン・ド・モンフォール(1294年 - 1345年)[3] - モンフォール=ラモーリー伯。ジャン4世・ド・ブルターニュの父。
- ベアトリス(1295年 - 1384年) - ギー10世・ド・ラヴァルの妻[4]
- ジャンヌ(1296年 - 1364年) - ロベール・ド・カッセル(フランドル伯ロベール3世の息子)の妻
- アリックス(1297年 - 1377年) - ヴァンドーム伯ブシャール6世の妻
- ブランシュ(1300年没)
- マリー(1302年 - 1371年) - ポワシー修道院の尼僧
脚注
参考文献
関連項目
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