スペインの町 ウィキペディアから
アルテア (Altea) は、スペイン・バレンシア州アリカンテ県のムニシピ(基礎自治体)。ミゲル・エルナンデス・デ・エルチェ大学の芸術学部キャンパスがある。
アルテアとは、ギリシャ語のAltahia(治療する)から派生している。イベリア人とローマ人の定住地跡が見つかっている。
イスラム支配時代後期、アルテアはデニアのタイファ支配下にあった。1244年、アラゴン王ジャウマ1世がアルテアを征服すると、再びキリスト教徒の移住が進み、1279年に町の憲章を獲得した。
スペイン継承戦争さなかの1705年、イギリス艦隊の支援を受けてオーストリア大公カール(のちの神聖ローマ皇帝カール6世)はアルテア湾に上陸した。大公の軍は、デニアとバレンシアの貴族に近い軍人のフアン・バウスティスタ・バッセトが率いた。
18世紀、農業、漁業、商業がさかんとなり、人口は約5,000人であった。1960年代以降観光業が急成長し、さらに人口が急増した。
アルテアの人口推移 1842-2013 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[1]、1996年 - [2] |
任期 | 首長名 | 政党 |
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1979–1983 | フアン・アルバド・ペレス | UCD |
1983–1987 | フアン・アルバド・ペレス | GIA ind. |
1987–1991 | フアン・アルバド・ペレス | CDS |
1991–1995 | ミゲル・オルティス・サラゴサ (91-92) フアン・バウティスタ・ボルハ (92-94) |
PP CDS |
1995–1999 | ミゲル・オルティス・サラゴサ | PP |
1999–2003 | ミゲル・オルティス・サラゴサ | PP |
2003–2007 | ミゲル・オルティス・サラゴサ | PP |
2007–2011 | アンドレス・リポイ・リョレンス | PSPV-PSOE |
2011–2015 | ミゲル・オルティス・サラゴサ | PP |
2015–2019 | ハウメ・リナレス・コルテス | コンプロミス |
2019–2023 | n/d | n/d |
2023– | n/d | n/d |
アルテアは、欧州連合内の都市を結ぶ姉妹都市組織ドゥーズラージュの、1991年の創設以来の構成都市である。ドゥーズラージュは互いの国の産物市場を開くなど様々な催しを行い交流を行っている。
また、以下とも姉妹都市である。
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