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アルギルダス・ミーコラス・ブラザウスカス(リトアニア語: Algirdas Mykolas Brazauskas、1932年9月22日 - 2010年6月26日) は、リトアニアの政治家。首相や大統領を務めた。
アルギルダス・ミーコラス・ブラザウスカス Algirdas Mykolas Brazauskas | |
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ブラザウスカスの肖像(2005年) | |
生年月日 | 1932年9月22日 |
出生地 | リトアニア、ロキシュキス |
没年月日 | 2010年6月26日(77歳没) |
死没地 | リトアニア、ヴィリニュス |
出身校 | カウナス工業大学 |
所属政党 |
リトアニア共産党(1957年 - 1990年)およびソビエト連邦共産党(1959年 - 1990年) →リトアニア民主労働党(1990年 - 2001年) →リトアニア社会民主党(2001年 - 2010年) |
配偶者 |
ユリヤ・ブラザウスキエネ(初婚) (Julija Brazauskienė) クリスティナ・ブラザウスキエネ(再婚) (Kristina Brazauskienė) |
サイン | |
第12代 リトアニア共和国首相 | |
在任期間 | 2001年7月3日 - 2006年5月31日 |
初代 大統領 | |
在任期間 | 1993年2月25日 - 1998年2月25日 |
1932年、独立期のリトアニア北部のロキシュキスに生まれる。(1940年、リトアニアはソビエト連邦に併合される。)1952年、カウナス工業大学を卒業する。リトアニア共産党の党官僚として出発し、1965年建設資材産業大臣、1967年国家計画委員会副議長、1977年リトアニア共産党中央委員会書記など、党と政府の要職を歴任した。
ミハイル・ゴルバチョフがペレストロイカを開始すると、リトアニアを含むバルト三国では、ソ連から離脱し独立の気運が高まるが、ブラザウスカスは、リトアニア共産党独立派の領袖として活動し、1988年10月リトアニア共産党第一書記に就任する。第一書記としてのブラザウスカスは、共産党の一党独裁、民主集中制の放棄を表明するとともに、ソ連共産党からの分離を推し進めた。
リトアニアが独立を回復した後、リトアニア共産党独立派が改組した民主労働党党首に就任する。また、1990年副首相、1992年最高会議議長などを歴任する。1993年、大統領制導入に伴い行われた大統領選挙に出馬し、当選。独立回復後の初代大統領となる。1998年に大統領を辞任。その後、2001年に社会民主党党首や首相を務めている。2006年6月、連立内の内紛から首相を辞任した。
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