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オスマン帝国の帝家家長 ウィキペディアから
アフメト・ニハト・オスマンオウル(オスマン語: أحمد نهاد、Ahmed Nihad Osmanoğlu、1883年7月5日 - 1954年6月4日)は、オスマン帝国の帝家であったオスマン家の第38代家長で、帝位(パーディシャーおよびカリフ)請求者(請求期間:1944年 - 1954年)。
第33代皇帝ムラト5世とその第1夫人エルル・メヴヒベ・バシュ・ハトゥン(Elru Mevhibe Baş Hatun)との間の長男シェフザデ・メフメト・セラハディン・エフェンディ(Şehzade Mehmed Selahaddin Efendi)皇子と、アルメニア人の第2夫人ナズィクナズ・ハヌム(Naziknaz Hanım)の間にオルタキョイのチュラーン宮殿で生まれた。祖母はグルジア人である。トルコの共和制移行に伴い、1924年に他の皇族とともに国外に退去した。1944年、アブデュルメジト2世の死去に伴い名目上の皇帝「アフメト4世(IV. Ahmet)」を名乗った。1954年にベイルートで死去した。
1902年2月7日にサフィル・ハヌム(Safiru Hanım)を第1夫人とし、間に一人息子アリー・ヴァースブ(1903年 - 1983年)をもうけた。1915年4月10日に第2夫人としたナヴレスタン・ハヌム(Nevrestan Hanım)との間に子供は無い。
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