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阿毘達磨(あびだつま、巴: Abhidhamma, アビダンマ、梵: Abhidharma अभिधर्म, アビダルマ、音写:阿毘曇(あびどん)、毘曇(びどん)、阿鼻達磨)とは、仏教の教説(具体的には経蔵、律蔵など)の研究・思想体系、およびそれらの解説書[1]・注釈書のこと[2]。大法、無比法、対法と漢訳する[2]。
仏教用語 アビダンマ | |
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パーリ語 | अभिधम्म |
サンスクリット語 | अभिधर्म |
ベンガル語 |
অভিধর্ম্ম ôbhidhôrmmô |
ビルマ語 |
အဘိဓမ္မာ (IPA: [əbḭdəmà]) |
中国語 |
阿毗達磨(T) / 阿毗达磨(S) (拼音: āpídámó) |
日本語 |
阿毘達磨 (ローマ字: abidatsuma) |
朝鮮語 |
아비달마 (RR: abidalma) |
英語 |
higher teaching, meta-teaching |
クメール語 |
អភិធម្ម (aphithorm) |
シンハラ語 |
අභිධර්ම (abhidharma) |
タイ語 | อภิธรรม (aphitham) |
ベトナム語 | A-tì-đạt-ma, Vi Diệu Pháp |
三蔵を構成する、律(ヴィヤナ)、経(スートラ)、論(アビダルマ)の一つをなす。これらのアビダルマをまとめたものを「論蔵」(Abhidharma-piṭaka)と呼ぶ。
仏陀逝去の後まもなく、弟子の僧たちが集まって、記憶していた仏陀生前の教説をまとめ伝承したものをアーガマ(阿含経;梵, 巴: āgama)という[3]。アーガマに対する研究は僧団の内部で熱心に行われた。これらには、中阿含根本分別品など経蔵と律蔵の二蔵に分かれる以前のもの[4]を含むが、原始仏教時代に経蔵と律蔵が成立した[4]。
文書としては、これらの経蔵と律蔵がその伝承を重ねる間に、やがてそれらの註釈を兼ねつつ、自らの説をも盛り込んだ文献である「論」(アビダルマ)がつくられ、それも次第に数を増して「論蔵」となり、経蔵・律蔵・論蔵の三蔵が成立する[5]。
これらの研究は、仏陀の説く真理を仏陀自身、ダルマ(法:梵: dharma )と呼んだ[6]ことから、「ダルマに対する研究」の意味でアビダルマ(漢語で「対法」)と呼ばれる[7]。通常は、仏教僧団が当初の統一を失い、多くの部派に分裂して後の教義の組織化をさす[7]。結果として生み出された教義の解説書、綱要書、論述書などは、厳密にいえばアビダルマ・シャーストラ(阿毘達磨論または阿毘達磨論書)と呼ぶべきであるが、おなじく略してアビダルマ(阿毘達磨)と呼ばれる[3]。時期としては仏陀没後300~900年[注釈 1]のもの[7]。
説一切有部で作られた論書(阿毘達磨)としては、
の7書、通称「六足発智[10]」が知られている。そして、『発智論』は「身論」なので、七論のもう一つの通称は「一身六足[8][9]」と呼ばれている。
更に、上記の『発智論』に対する注釈書として、
が書かれる。
更に、その概説書として、(後に中国で法相宗の祖として仰がれる)唯識派の世親によって書かれた論書が、
である。この『倶舎論』は、中国仏教・日本仏教圏にも伝わり、南都六宗の1つでもある倶舎宗を生んだ。
更に、倶舎論を批判する論書として
がある。『倶舎雹論』とも。
南伝の上座部仏教(分別説部)のパーリ仏典の論蔵(Abhidhamma piṭaka)には、
の7書が伝えられている。
浩瀚なアビダンマ七書の教学を簡略に学習するための綱要書として、10世紀中頃に、スリランカの学僧アヌルッダ(Anuruddha)によって
が著された。現在でも南方アビダンマを学ぶ初学者のための教科書として用いられる。
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