ささきふさ

日本の小説家 ウィキペディアから

ささきふさ

ささき ふさ1897年12月6日 - 1949年10月4日)は、日本の小説家。本名:佐佐木房子。

概要 ささき ふさ, 誕生 ...
ささき ふさ
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女人藝術』1928年9月号より
誕生 永岡房子
1897年12月6日
東京市芝区
死没 (1949-10-04) 1949年10月4日(51歳没)
職業 小説家
最終学歴 青山女学院英文科
ジャンル 小説
配偶者 佐佐木茂索
ウィキポータル 文学
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来歴

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左から、美川きよ深尾須磨子、ささきふさ、田村俊子。1937年頃撮影。

東京市芝区出身。父親の長岡安平は東京市公園課に勤める造園技師だった。11歳のときに横浜市の弁護士の大橋清蔵の養女となった。1912年、横浜指路教会で受洗。青山女学院在学中に日本基督教婦人矯風会に加わる。1919年、青山女学院英文科を卒業。ガントレット恒子秘書を経て[1]、同年、聖書を児童向けに書き下ろした『イスラエル物語』を出版した[2]

1923年、第9回万国婦人参政権大会出席のため渡欧。断髪洋装で渡欧経験もあるモダンガールとして知られた[1]。『葡萄の花』『断髪』を大橋房の名で出版した[2]。結婚前は山田耕筰との恋仲が噂された[3]

1925年、芥川龍之介の媒酌で佐佐木茂索と結婚した。夫の影響で将棋を覚え、没後6段の免状を受けた茂索よりも早く詰将棋を解いたこともあった[4]

1928年、月刊誌『女人藝術』に参加。1930年、短編集『豹の部屋』を刊行。新興芸術派の作家として知られるようになる[2]。1943年、伊東市へ疎開[2]

戦後『おばあさん』『ゆがんだ格子』などを発表。1949年10月4日、死去[2]51歳没

脚注

関連項目

外部リンク

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