1880年共和党全国大会
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1880年共和党全国大会(1880ねんきょうわとうぜんこくたいかい、英: 1880 Republican National Convention)は、1880年6月2日から8日まで、イリノイ州シカゴのインターステート・イクスポジション・ビルで開催された共和党全国大会である[1]。同年11月の大統領選挙に向けて、オハイオ州出身のジェームズ・ガーフィールドを大統領候補に、ニューヨーク州出身のチェスター・A・アーサーを副大統領候補に指名した。
1880年アメリカ合衆国大統領選挙 | |
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![]() ![]() 指名候補者 ガーフィールドとアーサー | |
大会概要 | |
期間 | 6月2日–8日 |
都市 | イリノイ州, シカゴ |
会場 | イクスポジションホール |
候補者 | |
大統領候補 | ジェームズ・ガーフィールド (オハイオ州) |
副大統領候補 | チェスター・A・アーサー (ニューヨーク州) |
他の候補者 |
ユリシーズ・グラント(イリノイ州) ジェイムズ・G・ブレイン(メイン州) |
‹ 1876年 · 1884年 › |
大統領候補として名告りを挙げた14人の中で、この大会までに有力候補とされたのは、ユリシーズ・グラント、ジェイムズ・G・ブレイン、およびジョン・シャーマンの3人だった。グラントは既に1869年から1877年まで2期大統領を務めた実績があり、前例のない3期目への返り咲きを狙っていた。共和党内のストールワート派(意志の固い人)の後ろ盾があり、政治マシーンや後援会を支持していた。ブレインはメイン州選出アメリカ合衆国上院議員と同下院議員を経験しており、共和党のハーフ・ブリード(混血)派のバックがあった[2]。シャーマンは南北戦争で著名な将軍ウィリアム・シャーマンの弟であり、当時はラザフォード・ヘイズ政権の財務長官を務めていた。オハイオ州選出の上院議員であり、ストールワート派とハーフ・ブリード派を支持しない代議員に支持されていた[2]。
第一回目の投票で、シャーマンは93票、グラントが304票、ブレインが285票を得た。誰も勝利に近付いたものが居らず、勝者を決めるための投票が続いた。投票が何度行われても、過半数を得る候補が居なかった。35回の投票が行われた後、ブレインとシャーマンが新しい「ダークホース」候補者であるジェームズ・ガーフィールド支持に切り換えた。次の投票でガーフィールドは399票を獲得し、グラントより93票多く、党公認候補となった[3]。ガーフィールドの出身地オハイオ州の代議員団が、副大統領候補としてストールワート派のチェスター・A・アーサーを選んだ。アーサーは468票を得て候補指名を獲得し、それまでで最長となった共和党全国大会が終わった。ガーフィールドとアーサーの組み合わせは11月に行われた投票で、民主党のウィンフィールド・スコット・ハンコックとウィリアム・ヘイデン・イングリッシュの組を接戦で破った[4]。