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長崎県佐世保市の黒島にあるカトリックの聖堂 ウィキペディアから
黒島天主堂(くろしまてんしゅどう)は、長崎県佐世保市の黒島にあるキリスト教 カトリック長崎教区の教会およびその聖堂である。正式名称を黒島教会(くろしまきょうかい)といい、至聖なるイエズスの聖心教会、イエスのみ心教会の別名もある。国の重要文化財に指定されている。
黒島天主堂 | |
---|---|
カトリック黒島教会 | |
所在地 | 長崎県佐世保市黒島町3333 |
国 | 日本 |
教派 | カトリック教会 |
歴史 | |
守護聖人 | イエスの御心 |
管轄 | |
教区 | カトリック長崎大司教区 |
教会管区 | カトリック長崎教会管区 |
聖職者 | |
大主教 (大司教) | ペトロ中村倫明 |
主任司祭 | ミカエル山添克明 |
佐世保市本土から西へ約10km離れた九十九島最大の島である黒島には、江戸時代の迫害を逃れて移住してきた隠れキリシタンが多く住んでいた。1865年に大浦天主堂で「信徒発見」がなされた知らせは黒島にも伝わり、2か月後には信者の代表20名が長崎へ赴き、プティジャン神父に約600人の潜伏キリシタンが黒島にいることを伝えている。その後、禁教解除よりも前に島の信者全員がカトリックへと復帰した[1]。
1878年に赴任したペルー神父が名切地区の土地を購入して和洋折衷の小規模な教会を建設するが[2]、やがて手狭となり本格的な教会の建設が必要となった[3]。マルマン神父が1897年に新しい聖堂の建設を目的に着任、自ら教会堂の設計を行なった。新しい聖堂は旧聖堂を取り壊して同じ場所に建設を行っている。1902年6月に献堂式が行われており、この頃が完成と見られている[4]。
以降は1982年(昭和57年)から翌年にかけてレンガの張り替えや屋根の葺き替え、雨漏りで汚れた漆喰の補修[5][6]、1991年には畳敷だった聖堂内を椅子式に変更する[6]など様々な修理を施されながら維持されていた。2008年(平成20年)頃から各部の老朽化が目立つようになり、本格的な修理が検討されるに至る[7]。その過程で2013年(平成25年)から翌年にかけて耐震診断を実施したところ耐震基準を満たさないことが判明したため、耐震補強工事と合わせて保存修理工事が実施された[7]。
黒島のほぼ中央に北面して建つ三廊式バシリカ型教会堂である。屋根は切妻造および瓦葺き、建物上層部分側面は木造下見板張り、下層部分は煉瓦造からなる[12]。側面は下から順にアーケード(柱で支えられた連続したアーチ構造)・トリフォリウム(ギャラリー式の廊下)・クリアストーリー(高窓)の三層構造となっている[13]。規模は間口15.0メートル、奥行32.6メートル。外観はロマネスク様式を基調とし、ファサードにはペディメント下にバラ窓が設けられている。正面にはバラ窓以外の窓はなく、壁面にブラインド・アーケードやブラインド・アーチ(壁面にアーケードやアーチ形の装飾を造るのみで、開口していないもの)を設けている[12]。入口上には四角錐形屋根をもつ鐘塔が立つ。側廊の壁面にはステンドグラスを嵌めた半円アーチ滑り出しガラス窓と円形はめ殺し窓を組み合わせた構造の窓が設けられている。クリアストーリーには同じくステンドグラスを嵌めた半円アーチ窓と円形窓を組み合わせているが、外から見ると二種類のステンドグラスが組み合わさった半円アーチはめ殺し窓とであることがわかる[14]。会堂部は当初板張りに畳敷であったが、1991年(平成3年)に椅子式へ変更されている[15]。この天主堂は保存状態がよく、明治時代に、外国人神父の指導によって建設された、様式的にも整った本格的な教会堂建築として貴重な遺構である。[16]
〒857-3271 長崎県佐世保市黒島町3333番地
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