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奈良時代初期の官撰の地誌 ウィキペディアから
風土記(ふどき)とは、一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことを指すが、狭義には、日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書をさす[1]。正式名称ではなく、ほかの風土記と区別して「古風土記」ともいう。律令制度の各国別で記されたと考えられ、幾つかが写本として残されている。
奈良時代初期の官撰の地誌。元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂し、主に漢文体で書かれた。律令制度を整備し、全国を統一した朝廷は、各国の事情を知る必要があったため、風土記を編纂させ、地方統治の指針とした[2]。
『続日本紀』の和銅6年5月甲子(ユリウス暦713年5月30日、先発グレゴリオ暦6月3日)の条が風土記編纂の官命であると見られている。ただし、この時点では風土記という名称は用いられておらず、律令制において下級の官司から上級の官司宛に提出される正式な公文書を意味する「解」(げ)と呼ばれていたようである[2]。なお、記すべき内容として下記の五つが挙げられている[3]。
現存するものは全て写本で、『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態で残る[4]。その他の国の風土記も存在したと考えられているが、現在は後世の書物に逸文として引用されるのみである。ただし、逸文とされるものの中にも、本当にオリジナルの風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在する。
中国の書籍の名。晋の平西将軍の周処による『周処風土記』に始まり、盧植による『冀州風土記』、沈瑩による『臨海風土記』、陸恭之によるとされる風土記、『後魏風土記』などがあったといわれるが、存在が確認できるわけではない。辺境生活の見聞をまとめたものであろうといわれるが、詳細は不明。
『遠江國風土記傳』、『三河後風土記』、『東北後風土記』、『斐太後風土記』、『新編武蔵風土記』、『新編相模風土記』、『新編会津風土記』、『佐倉風土記』、『今日の風土記』等が挙げられる。
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