雲母摺浮世絵の版画手法のひとつ / ウィキペディア フリーな encyclopedia 雲母摺(きらずり)は、浮世絵に施した版画手法のひとつ。岩絵具に細かく砕いた雲母を混ぜて膠液で溶いて使用し、版木を用いて特色として刷る場合は背景色に応じて、白雲母摺、黒雲母摺、紅雲母摺と呼ばれる[1]。そのほかに細かな装飾には合羽摺を用いて[2]、膠分を増し粘着度を高めた絵具を刷毛で型紙に塗りつけて施す。 その源泉を求め料紙の研究から考察が試みられた[3]。 雲母摺の例 「三代目大谷鬼次」(江戸兵衛に扮する二代目中村仲蔵)東洲斎写楽 (1794年) 「汗を拭く女」喜多川歌麿 (1798年)。日本髪を結った女性の鉢巻き、歌舞伎で言うところの「お三輪巻」。 「二代目嵐龍蔵の不破の下部浮世又平と三代目大谷広次の名護屋の下部土佐の又平」東洲斎写楽 (1794年) 「難波屋おきた」喜多川歌麿 (1793年頃)。茶を運ぶポーズを付けているのは茶屋の娘難波屋おきた。
雲母摺(きらずり)は、浮世絵に施した版画手法のひとつ。岩絵具に細かく砕いた雲母を混ぜて膠液で溶いて使用し、版木を用いて特色として刷る場合は背景色に応じて、白雲母摺、黒雲母摺、紅雲母摺と呼ばれる[1]。そのほかに細かな装飾には合羽摺を用いて[2]、膠分を増し粘着度を高めた絵具を刷毛で型紙に塗りつけて施す。 その源泉を求め料紙の研究から考察が試みられた[3]。 雲母摺の例 「三代目大谷鬼次」(江戸兵衛に扮する二代目中村仲蔵)東洲斎写楽 (1794年) 「汗を拭く女」喜多川歌麿 (1798年)。日本髪を結った女性の鉢巻き、歌舞伎で言うところの「お三輪巻」。 「二代目嵐龍蔵の不破の下部浮世又平と三代目大谷広次の名護屋の下部土佐の又平」東洲斎写楽 (1794年) 「難波屋おきた」喜多川歌麿 (1793年頃)。茶を運ぶポーズを付けているのは茶屋の娘難波屋おきた。