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秋田県湯沢市にある病院 ウィキペディアから
雄勝中央病院(おがちちゅうおうびょういん)は、秋田県湯沢市山田にある、秋田県厚生農業協同組合連合会(JA秋田厚生連)の病院。
雄勝中央病院 | |
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情報 | |
正式名称 |
秋田県厚生農業協同組合連合会 雄勝中央病院 |
英語名称 | Ogachi Central Hospital |
前身 | 有限責任雄勝医療購買組合 |
標榜診療科 |
内科 神経内科 呼吸器科 消化器科 循環器科 小児科 外科 整形外科 脳神経外科 心臓血管外科 血液内科 皮膚科 泌尿器科 産婦人科 眼科 耳鼻咽喉科 リハビリテーション科 麻酔科 歯科口腔外科 |
許可病床数 |
380床 一般病床:376床 感染症病床:4床 |
開設者 |
秋田県厚生農業協同組合連合会 (JA秋田厚生連) |
管理者 | 中村 正明(院長) |
開設年月日 | 1933年8月 |
所在地 |
〒012-0055 秋田県湯沢市山田字勇ヶ岡25 |
位置 | 北緯39度08分43秒 東経140度27分17秒 |
二次医療圏 | 湯沢・雄勝[1] |
PJ 医療機関 |
当院は、秋田県内の8つの2次医療圏の1つの「湯沢・雄勝医療圏」に位置する[1](2024年度からは秋田県内の2次医療圏は3つに再編され、当院は県南医療圏となった[2][3])。同圏は、湯沢市および雄勝郡(羽後町・東成瀬村)を圏域とし、2010年(平成22年)国勢調査人口が7万0513人、面積1,225km2である[1]。同圏内には2011年度(平成23年度)末時点で既存病床数が683床(基準病床数は525床)あるため、許可病床数が380床(2013年度は312床が稼動)である当院は同圏の約半分の病床を有することになる。
当院は、横手盆地の南端付近の樹枝状丘陵を造成した「雄湯郷ランド(ゆーとぴあランド)」内にある。
病院の基本理念は「信」「望」「愛」。
昭和初期に全国的に広まった医療利用組合運動の中で、現在の湯沢市の中心部にあたる雄勝郡湯沢町に開設された。雄勝医療購買組合の設立前の1930年(昭和5年)の雄勝郡25町村の国勢調査人口は94,002人(うち、湯沢町が12,030人)、当院が雄勝中央病院に改称される前年の1935年(昭和10年)のそれは98,408人(同13,344人)であり[4]、当時の同郡とほぼ同じ範囲にあたる「湯沢・雄勝医療圏」の2024年9月1日推計人口の53,397人より多かった。
1961年(昭和36年)に国民皆保険(参照)が達成されると、1964年(昭和39年)に当院は総合病院となった。
バブル崩壊後の1992年(平成4年)、秋田県庁の雄勝地方部(現・雄勝地域振興局)などが湯沢雄勝地域を「雄湯郷(ゆーとぴあ)」と命名した[5]。これは、当地域における地域活性化事業の名称にも使用されることになる。
1995年(平成7年)に病院移転新築検討委員会が設立され、1997年(平成9年)に秋田県道278号雄勝湯沢線沿いの「雄湯郷ランド」を当院の移転先とすることが厚生連理事会で確認された[6]。「雄湯郷ランド」は市街地から離れているため中心部の商業の地盤沈下が予想され、移転計画が具体化するにつれて移転反対運動が活発化していった。
2002年(平成14年)4月21日、「雄湯郷事業」の再検討を掲げた共産党の鈴木俊夫が、自由民主党および公明党推薦の現職を破って市長に初当選した[7]。しかし、新市長の鈴木は公約に反して当院の移転事業を進め、2003年(平成15年)8月には移転新築工事が着工。2005年(平成17年)8月、湯沢市表町三丁目3-15(北緯39度10分7.3秒 東経140度29分26.7秒)より、現在地の湯沢市山田字勇ヶ岡25に移転した。
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