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日本の種子島の最南端にある岬 ウィキペディアから
門倉岬から喜界島を結び、屋久島望む右側(西側)が東シナ海で、左側(東側)が太平洋である。
門倉岬の呼称は1812年(文化9年)5月に伊能忠敬による種子島の測量南隊・門倉一太が苦難の測量を完了して「門倉崎」と自分の姓を記述した。[要出典]それまで、1702年(元禄15年)大隅国の「元禄国絵図」によれば「熊毛埼」と記述されている。
岬の先端部から太平洋側(東側)は、竹崎の種子島宇宙センター「宇宙科学技術館」まで12キロに渡る砂浜で、「前之浜自然公園」がある形成している。岬の先端部から東シナ海側(西側)は、屋久島が見渡せる景勝地となっている。岬の先端部は海食により、高さ約50メートルの断崖となっている。公園内に「鉄砲伝来紀功碑」や御崎(みさき)神社があり、南蛮船の形状を模した展望台や遊歩道が整備されている。
2009年には門倉岬で皆既日食を観測するツアーが組まれた[1]。
1921年(大正10年)1月建立。
題字は種子島守時(1879年 - 1929年、種子島氏第27代当主)、碑文は西村天囚の撰。
天文12年(1543)8月25日、西村(にしのむら)の小浦(現在の前之浜)に漂着した明国船に乗船していたポルトガル人によって、日本に火縄銃が伝えられたことを記す。
岬の南端、断崖の側にある神社。大国主尊、彦火々出見尊を祭神とする。岬の形状が動物の尻尾を思わせることから、近世には「島尾大明神」と呼ばれた。
『種子島家御家年中行事属類雑記』の神社縁起には、「往古は潮風災害よけの守護神として島尾大明神と称し、祭礼は9月19日、神領として山神祭りの田があったが、今は百姓地で御倉入れ地となっている。祭礼の時は、村中で奉仕して白酒を造り、本国寺で満山祈祷をやり、村役以下村中の老若みな大明神に参宮し、国土安穏の古例の踊りを社殿の庭で催す」とある[2]。
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