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『鉄拳』(てっけん、Tekken)は、1994年に稼働したナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)の対戦格闘ゲーム。
ナムコ初の3D格闘ゲームで、この同時期に発売された当時最新の家庭用ゲーム機PlayStationの互換基板でありそのゲーム機の開発・発売元であるソニー・コンピュータエンタテインメントと共同開発した新基板SYSTEM11の第一弾タイトルでもある[1]。
後に鉄拳シリーズとしてシリーズ化された。
3D格闘ゲームの先駆けとなったセガの『バーチャファイター』シリーズ(リリース当時は『バーチャファイター2』)が爆発的に普及する中で第1作目はリリースされた。空中コンボという新しい概念を定着させたのも、初代『鉄拳』の功績の1つでもある[2]。四肢に対応させた4つの打撃ボタン構成、ガード不能技や10連コンボなどの独特のシステム、そしてロボットや猛獣、格闘漫画の登場人物やアクション映画俳優のパロディキャラクターなどが入り乱れる個性的なプレイヤーキャラクターたちは、バーチャファイターシリーズが持つ雰囲気とは大きく一線を画していた。特に漫画チックなデフォルメの強いキャラクターデザインが特徴として押し出されていたこともあり、当初は色モノ扱いされていたゲームだった。
プレイヤーキャラクターは8名。各キャラクターのサイドストーリーに関係する中ボスキャラクターおよび最終ステージのボスキャラクター・三島平八は、先行のアーケード版ではCPUキャラクターとしての登場のみで、PlayStation版で初めて使用可能となった。
なお、PlayStation 2用ソフトの『鉄拳5』にはアーケード版が、『ナムコレクション』にはPlayStation版が完全移植されている。
PlayStation本体発売のおよそ4ヶ月後に発売された。それまで同機の3D格闘ゲームとしてタカラ(後のタカラトミー)の『闘神伝』が発売されていたが、フルフレーム(60fps)描画の3D格闘ゲームは本作が初となった。内容はグラフィック面で床のテクスチャが粗くなっていたり多重スクロールしていた背景が一枚絵になるなどの劣化はあるが、それ以外は概ねアーケード版と遜色ない移植度となっている。
アーケード版と比べて、以下の追加・変更要素がある。
PlayStation版では平八を選択してスタートした場合に限り、ステージ1 - 8の対戦相手が全て中ボスになり、ステージ9の最終ボスがデビルカズヤになる(このデビルカズヤを倒しても、デビルカズヤは使用可能にはならない)。
世界有数の財閥である三島財閥の頭首・三島平八が主催する格闘技大会「The king of iron fist tournament」。優勝者には三島財閥頭首の座と財産の全てが贈られる。この呼び掛けに応じ、ある者は名声のため、ある者は復讐のため、ある者は己の野望を実現するため、世界中から様々な格闘家たちが参戦した。
デフォルトキャラクター
最終ボス(アーケード版では使用不可)
中ボスキャラクター(アーケード版では使用不可)
最終ボス(平八使用時)(アーケード版では低確率で使用可能)
後述する試作品『神威』(カムイ)が作られるよりも前、ナムコでは格闘ゲームの企画が上がっていた[4]。このゲームは『鉄拳』とは全く方向性が異なっており、キャラクターのセッティングは当時流行していた『ストリートファイターII』の影響を受けていた上、方向性についても同作を継承したものにするつもりだった。この企画自体は立ち消えとなったが、その後『バーチャファイター』に触発される形でポリゴンを使った3D格闘ゲームの企画が立ち上がった。
3D格闘ゲームを開発するにあたりノウハウが全くなかったナムコは、まずは基礎研究・技術養育・社内プレゼンを目的としてSYSTEM22で『神威』という試作品を作成した[4]。このゲームは一応、『鉄拳』の原型は示していたものの、まだ『鉄拳』の象徴となる「四肢に対応した攻撃ボタン」は実装されておらず、単純に弱パンチ・強パンチ・弱キック・強キックボタンだった[5]。なお、実際の神威の映像がYouTube動画の『ナムコミュージアム オブ アート 第10回 鉄拳』で初公開された。
その後、いよいよ製品開発にまで話は進んだが、SYSTEM22で作ったのでは価格が跳ね上がり、同じ3D格闘ゲームであるセガのMODEL2で作成された『バーチャファイター2』と競合負けするのが目に見えていた。どうしたものかと考えていたところ、当時のSCE開発部長だった久夛良木健よりPlayStation用の新チップとPlayStation構想の話が持ちかけられる[1]。このチップを使った新基板で開発すれば、コストが格段に抑えられ『バーチャファイター2』との競合も避けられる。かくして「表通りのゲームセンターの正面には高価な『バーチャファイター2』を、裏通りの店の奥には廉価な鉄拳を」のコンセプトで『鉄拳』の制作が開始された[6][1]。
本作はセガで『バーチャファイター』の開発に携わった石井精一ら一部のスタッフがナムコに移籍し、開発に参加、後にドリームファクトリーを設立している[7][8]。
『鉄拳』のタイトルが漢字二文字なのは、「とりあえず漢字二文字というのは決まっていて、それでいてインパクトがあるタイトル」というメーカー側の意図である[5]。
『鉄拳』が初出展されたのは1994年9月に開催された第32回アミューズメントマシンショーに参考出展されたもので、この時はまだ使用できるキャラクターがカズヤ、ポール、ロウ、ニーナ、ジャック、キングの6名のみで固有技もほとんど入っておらず、コスチュームも1Pカラーのみだった。ロウは「ドラゴン」という名前で、ポールは綴りが「POLE」になっていた。残りの2名はミシェールとワンがイメージボードのみ展示されていた。
吉光は「海外市場向けに変な格好の忍者を出したい」という考えから後から追加されたキャラクターで、元々の8人目のプレイヤーキャラクターはワンだった。しかし吉光のデザインやキャラクター性がなかなか纏まらずに、発売前のAMショーにも実装が間に合わなかったため、AMショーでは吉光の代わりにワンがプレイヤーキャラクターとして紹介された(イメージボードのみ)。
ジャックは当初の設定はアメリカの軍人だったが、体のバランスが悪くロボットにしか見えないのでロボットの設定にされた。ミシェールは元々は中国人キャラクターだったが、インディアンのコスプレをした内田有紀のグラビアにインスパイアされてネイティブアメリカンにデザインされ直した。ニーナは元々は古武術使いの日本人キャラクターだったが、主人公が日本人になったことからバランス調整で外国人に変更された[5]。
巌竜はアーケード版でも元々は廻しを締めていたが、角度によって廻しのポリゴン欠けがちらちら発生して卑猥に見えたため海パンに改められた。その後のPlayStation版では、ある程度ポリゴン欠けが改修されたので廻しに戻されている。元々はプレイヤーが使用できるキャラクターだった。
1984年のMSX用ソフト『パックマン』を皮切りに1995年まで、当時のナムコはコンシューマーゲーム(パソコン・家庭用ビデオゲーム機)用ソフトのブランドとして「ナムコット(namcot)」を使用していた。本作のPlayStation版発売を最後に、10月20日発売のゲームギア用ソフト『ギアスタジアム平成版』を除き、原則「namco」ブランドに切り替えた。
アーケード版では通常、中ボスや平八をキャラクター選択画面で見ることはないが、基板の設定が「コンティニュー時にキャラクターの選択が可能」になっていれば、中ボスもしくは平八でゲームオーバーになり、コンティニューをした際にキャラクター選択画面の対戦相手側に表示される。
初期の海外のゲーム雑誌では「RAVE WAR」というタイトルで紹介されていた。『鉄拳』のパンフレットに "Tekken, Lord of the Rave War."と書かれているのはその名残り。また関連性は不明だが、同社ナムコが1992年にアーケードで発売したシューティングゲーム『F/A』のBGMにも、「Rave War」というタイトルの楽曲があり、同じくナムコが1993年に発売したアーケード版『リッジレーサー』の自車にも、「RAVE WAR」の文字がマーキングされている。
オプション設定で連勝数表示をフルーツにすると25連勝目でスペシャルフラッグが表示され、次の対戦に限り規定ラウンド数が1ラウンド追加される。
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