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手袋の一種 ウィキペディアから
軍手(ぐんて)とは、手袋の一種。一般には白色の作業用編手袋をいう[1]。メリヤス製のため伸縮性に富み、左右の区別がなく、丈夫で安価な作業用手袋として用いられる。「軍手」は「軍用手袋」の略[1]。旧日本軍の兵士が用いたことに由来している。
軍手は作業時に切り傷、擦り傷などの怪我防止のために着用されるが、ドリル等回転部分のある道具で作業を行う場合には、布地が回転部分に巻き込まれる危険があり、手指の喪失や、最悪の場合死亡災害にもつながる[2]。このため、「事業者は、ボール盤、面取り盤等の回転する刃物に作業中の労働者の手が巻き込まれるおそれのあるときは、当該労働者に手袋を使用させてはならない」と労働安全衛生規則の第百十一条によって定められており[3]、また、回転体に巻き込まれる恐れがある際には使用しないよう注意喚起を行っている製造メーカーも多い[4]。
軍手の起源は江戸時代末期の弘化・安政(1844 - 1860年)頃の近代武装訓練の時に鉄砲を素手でさわって錆びないように兵士に手袋をさせたことが始まりとされ、長州藩の下級武士が鉄砲隊のため内職で手袋を縫ったと言われている。1867年、徳川幕府が軍隊を創設、これにより手袋の需要が大幅に増大した。明治に入り大日本帝国陸海軍が創設され、一層軍隊での需要が高まっていった。この頃から軍手と呼ばれるようになったとされる。[要出典]
日本軍においては下士官兵用の官給手袋(手套:「てとう」ないし「しゅとう」)として使用され、作業専用というわけではなく防寒具としても着用するものであった。
戦前の軍手も素材はメリヤスだったが、ニットによる全面編み上げではなく、平織りのメリヤスを織ってから、指の部分と、手の平の部分を別々に縫い上げる製法となっていた。また、手首部分にゴムは織り込まれておらず縁に色などは付されていない白一色のものであった。
戦後になってもこれらの製法は基本的に変わらず、生産量も限られ、比較的高価だった。1950年代に指の部分を縫える半自動機織り機が開発され生産量が倍増し、一挙に低価格化が進んだ。1955年、作業時の安全性を向上させるため手首の部分にゴム糸を挿通して編み上げる「ゴム入り安全手袋」が島精機製作所の島正博によって発明された。1963年には同じく島精機製作所により全自動手袋編機(初期型)が開発されたが、当時の生産技術力では安定した精度を実現できず、指先を丸型から角型に変更した全自動手袋編機を1965年に開発した。この編機は指先を丸くする縢(かがり)という内職作業が必要とされた。すぐ後にこの部分を改良して、指先を丸型に編み込む全自動シームレス手袋編機を愛知県安城市の松谷鉄工所が開発し、完全に機械による全自動化となり、製法を含め現在の物と同様の軍手が完成された。
軍手は材料、形態によって様々な種類がある。
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