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谷口 善太郎(たにぐち ぜんたろう、1899年10月15日 - 1974年6月8日)は、日本の小説家、政治家である。衆議院議員(6期)。小説家としては、ペンネームの須井一(すい はじめ)・加賀耿二(かが こうじ)で知られることも多い[1]。愛称は「谷善(たにぜん)」。
石川県能美郡国造村和気(現在の石川県能美市和気町)出身。和気高等小学校卒業後、村の読書サークルに参加、谷口夢草の名前で短歌をつくる。その後上京、その後には京都で清水焼の労働をしながら労働運動に従事する。1928年の三・一五事件で検挙され、外出や執筆をしないという条件で仮釈放された。
しかし、1931年、東京から訪れた貴司山治のすすめにより、『須井一』のペンネームで執筆した「綿」が評判になる。その後、「幼き合唱」「清水焼風景」などの作品を書き、プロレタリア文学の新進作家として注目された。ところが、プロレタリア文学関係の紙誌に執筆する段階ではペンネームの使用だけですんだのだが、『中央公論』や『改造』などの総合雑誌に作品を発表するにあたっては、本名を編集側に明らかにしなければならなかったので、友人に身代わりの『須井一』になってもらうことにした。だが、検挙されたその友人が、実際の執筆者と誤認され、小説を書かないと当局に約束したために、ペンネームを『加賀耿二』に変更する。
また、この時期には、磯村秀次のペンネームで、『日本労働組合評議会史』を執筆、1932年に刊行した。この本は、1920年代の日本の労働運動の証言として評価され、戦後青木文庫(1952年)、新日本出版社から再刊された。
戦後は政治運動に参加し、1949年の第24回衆議院議員総選挙に、日本共産党公認で京都府第1区から出馬して当選を果たす。1950年に公職追放を受け、しばらくの間は作家として『人民文学』誌に作品を発表するなどの活動をしたが、1960年の第29回衆議院議員総選挙で返り咲いてからは1972年まで5回連続当選を果たし、京都における共産党の中心的な存在として活躍した。1974年、在職中に死去した。
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