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西周・春秋時代の諸侯国 ウィキペディアから
許(きょ、中国語: 许国、拼音: Xǔ)は、西周及び春秋時代の諸侯国[12]。爵位は男爵[4]。国君は姜姓[2][4]。建国の君主は許文叔で[10]、許伯彪が最後の君主である。許については歴代君主以外の情報は余りわかっていない[2]。鄭によって滅亡したが[11]、楚によって復活した。楚が国君を廃したことで滅亡した。
許の地理位置は、数度変わっている。最初は現在の河南省許昌市建安区であった。
春秋時代、鄭や楚等の国の逼迫を受けて、紀元前576年、許の霊公は「葉」(現在の河南省平頂山市葉県南)に南遷した[2][5]。その後、許は楚の附庸国となった。
紀元前538年、許の悼公は「夷」(後の楚の城父邑、現在の安徽省亳州市譙城区南東)に遷都した[2][7]紀元前534年、「析」(後の楚の白羽邑、現在の河南省南陽市西峡県)に遷都した[2][8]。紀元前529年、葉に再び遷都した[2]。紀元前506年、「容城」(現在の河南省平頂山市魯山県南)に遷都した[2][9]。そして、戦国時代初期に楚によって滅亡した。
西周が殷を滅ぼした後に、周の成王は諸侯を大封した。その中で、殷の旧地は姫姓の諸侯国と姜姓の諸侯国に分封された。許国は周朝の分封を受けた姜姓の諸侯国の一国である。始祖は太岳(伯夷)の胤(継嗣)の許文叔で、武王克殷時に大功を挙げて受封された[13]。
春秋時代、鄭や楚等の諸侯国が非常に強大になり、許国は強国の侵略を受けた。許は弱小で抵抗することができなかったので、友好を求めた。
紀元前654年、楚は許を攻め打った。許は大敗した。そのため「肉袒謝罪」した。楚は満足して、兵を退去させた。
楚の成王の時期、再次許に攻め打った。許の国君は再び「肉袒謝罪」して、和解を請求した。この状況下、許国は楚と鄭の興亡を避けるためには遷都のみが可能であった。
紀元前576年、許の霊公は「葉」(現在の河南省平頂山市葉県南)に南遷した[2]。紀元前538年、許の悼公は「夷」(後の楚の城父邑、現在の安徽省亳州市譙城区南東)に遷都した[2]。
紀元前534年、「析」(後の楚の白羽邑、現在の河南省南陽市西峡県)に遷都した[2]。紀元前529年、葉に再び遷都した[2]。紀元前506年、「容城」(現在の河南省平頂山市魯山県南)に遷都した[2]。その後、許は楚の附庸国となった。
以降許は3から5年ごとに遷都を繰り返した。容城への遷都の後はより長い休止の期間になったが、諸侯の間の争いが続いたため、許は結局併合の憂き目を逃れることはできなかった。
『春秋左氏伝』の記載によると、許男斯の在位中に、楚の国都の郢が呉の攻撃を受けている最中、鄭の攻撃を受けて滅亡した[11]。
その後も、歴史書に何人かの許の君主が記録されている。楚の扶植の下で、許の元公は当地の百姓或いは許国の移民に擁立された可能性が高い。なので、厳密には許国の君主には数えられない。
紀元前481年、楚の恵王は公子結を許の君主に封じた。五世後、戦国時代初期に、許の国君は楚によって退位させられ、許は完全に滅亡した。
『漢書』地理志によると「二十四世で楚によって滅亡した」とある。しかし、文献によって実在性が証明されている君主は18人で、青銅器の銘文によって考証されているのも僅か3人である。つまり、合計で21人となり、24人には達しない。その中で、許文叔から荘公の世系が『資治通鑑外紀』に見える[4]。
諡号 | 本名 | 在位年数 | 在位 | 出身 | 資料 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 許文叔 | 丁[13] | 紀元前11世紀 - ? | 伯夷の末裔[4] | 《資治通鑑外紀》[4] 《春秋左傳注》 《清華簡・封許之命》 | |
2 | 徳男 | 翽 | 不明[10] | 許文叔の子[4] | 《資治通鑑外紀》[4] | |
3 | 封 | 不明[10] | 徳男の子[4] | 《資治通鑑外紀》[4] | ||
4 | 孝男 | 宏寛 | 不明[10] | 許伯封の子[4] | 《資治通鑑外紀》[4] | |
5 | 靖男 | 標 | 不明[10] | 孝男の子[4] | 《資治通鑑外紀》[4] | |
6 | 康男 | 昌 | 不明[10] | 靖男の子[4] | 《資治通鑑外紀》[4] | |
7 | 武公 | 雄 | 不明[10] | 康男の子[4] | 《資治通鑑外紀》[4] | |
8 | 文公 | 興父[4] | 幽王・平王時代 | 武公の子[4][10] | 《資治通鑑外紀》[4] 《竹書紀年》 | |
2代不明 | ||||||
11[10] | 荘公 | 茀[4] あるいは苴人[10] |
郁賢皓注在位20年 | 紀元前731年 - 紀元前712年[10] | 宣公の子[4][10] | 《資治通鑑外紀》[4] 《春秋左傳注》 《春秋釋例》 |
12 | 桓公 | 鄭[4] | 14年 | 紀元前711年 - 紀元前698年[10] | 《春秋釋例》曰く荘公の弟 | 《春秋左傳注》 《春秋釋例》 |
13 | 穆公 | 新臣 | 42年 | 紀元前697年 - 紀元前656年[10] | 荘公の弟 | 《春秋左傳注》 |
14 | 僖公 | 業 | 34年 | 紀元前655年 - 紀元前622年[10] | 穆公の子 | 《春秋左傳注》 |
15 | 昭公 | 錫我 | 30年 | 紀元前621年 - 紀元前592年[10] | 僖公の子 | 《春秋左傳注》 |
16 | 霊公 | 寧 | 45年 | 紀元前591年 - 紀元前547年[10] | 昭公の子 | 《春秋左傳注》 |
17 | 悼公 | 買 | 24年 | 紀元前546年 - 紀元前523年[10] | 霊公の子 | 《春秋左傳注》 |
- | 虺 | 悼公の子 | 《春秋釋例》 《春秋左傳注》 | |||
18 | 斯 | 19年 | 紀元前522年 - 紀元前504年 | 悼公の子 | 《春秋左傳注》 | |
19 | 元公 | 成 | 約22年 | 紀元前503年 - 紀元前482年[10] | 悼公の孫 | 《春秋釋例》 《春秋左傳注》 |
20 | 結 | 紀元前481年[注 8] - ? | 元公の子[10] | 《春秋釋例》 《春秋左伝正義》 《通志・氏族略》 | ||
4代不明 | ||||||
妝 | 春秋時代 | 不明 | 《春秋左傳注》 《金文人名匯編》 | |||
将師[注 9] | 春秋時代 | 不明 | 《金文人名匯編》 | |||
彪 | 春秋時代 | 不明 | 《金文人名匯編》 |
1.許文叔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2.徳男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3.許伯封 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4.孝男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5.靖男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6.康男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7.武公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8.文公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11.荘公 | 13.穆公 | 12.桓公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
14.僖公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
15.昭公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
16.霊公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
17.悼公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
許世子止 | 公子虺 | 18.許男斯 | 不明 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
19.元公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
20.許男結 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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