観音崎 (神奈川県)
神奈川県横須賀市鴨居4丁目にある岬 ウィキペディアから
神奈川県横須賀市鴨居4丁目にある岬 ウィキペディアから
観音崎(かんのんざき)は、神奈川県横須賀市鴨居4丁目に位置する岬。岬周辺の地域を表す地名として用いられることもある。
三浦半島東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する。対岸の房総半島富津岬までは約7kmである。付近は「県立観音崎公園」として整備され、観音埼灯台が立地するほか旧日本陸軍が明治10年代から20年代にかけて建設した砲台と弾薬庫跡が多く残る。園内にはこのほか1953年創立の観音崎自然博物館があり[2]、横須賀美術館が2007年(平成19年)4月に開館した。園内には墓と見られる多くの横穴が崖にみられる。また、海上保安庁東京湾海上交通センター(とうきょうマーチス)の観音埼レーダー施設も公園内にある。
観音崎海水浴場が隣接しており、夏季は海水浴客で賑わう。他にラビスタ観音崎テラス(旧観音崎京急ホテル)や海上自衛隊観音崎礼砲台がある。
気象庁は観音崎東端を津波予報区における境界として定めており、観音崎東端以北の東京湾沿岸を東京湾内湾、観音崎東端以南の神奈川県沿岸を相模湾・三浦半島としている[3]。
741年(天平13年)、行基がこの地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったと伝えられる。江戸時代には観音堂など堂宇が創建されて仏崎山(ふだらくさん)観音寺と称し、幕府から朱印地を与えられていた。
観音寺は1880年(明治13年)に陸軍の砲台建造に伴って鴨居の亀崎(現・横須賀市鴨居3丁目)へ移転、1986年(昭和61年)には火災のため焼失してしまい、現在は小さな堂が残っている。
2019年9月、新たに制作された観音像が海蝕洞に安置された。
観音埼灯台は、1869年(明治2年)に建設、初点灯した日本最初の洋式灯台である。その後、関東大震災など二度の地震で倒壊し、現在の灯台は3代目にあたる。灯台内部の見学も可能(有料)。
詳細は観音埼灯台の項を参照。
ガリヴァー旅行記で、「ガリヴァーが日本に入港した場所ザモスキが観音崎である」としての町おこしが2000年代半ばから行なわれている。"Xamoschi" (ザモスキ) と"Kannosaki" 「カンノサキ」の筆記体が「似ている」ことなどによるとされる[4][5][6]。町おこしを推進する市民団体では「夢のあるエピソード」としている[6]。これを受け、横須賀出身のミステリー作家山口雅也も、ガリバーが観音崎に上陸するシーンを描いた作品『狩場最悪の航海記』を発表している[7]。2009年のガリバー観音崎上陸300周年にテーマ曲「FANTASIA ~華麗なガリバー旅行記~」が作られている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.