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平安時代末期~鎌倉時代初期の公卿。従二位・権中納言、右衛門督。勅撰集『新古今和歌集』『続拾遺和歌集』に3首入集。後鳥羽天皇の近習 ウィキペディアから
藤原 範光(ふじわら のりみつ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原南家貞嗣流、刑部卿・藤原範兼の子。官位は従二位・権中納言。
幼くして父・範兼を失い、姉妹の範子、兼子と共に、父の弟で父の養子となっていた範季に引き取られ育てられる。
長寛2年(1164年)、文章得業生となる。承安2年(1172年)、叙爵。紀伊守、下野守を経て、寿永元年(1182年)従五位上、正五位下、寿永2年(1183年)には紀伊守となる。建仁元年(1201年)従三位、建仁2年(1202年)参議、建仁3年(1203年)検非違使別当、権中納言。元久2年(1205年)民部卿、従二位となる。元久3年(1206年)東宮権大夫。建永2年(1207年)3月15日、出家。
順徳天皇の皇子である彦成王・善統親王の母は範光の娘とされているが、同天皇に典侍として仕えた娘は2名(按察使典侍坊門局光子・督典侍)知られていて文献によっても母親の比定が異なるため、藤原範光女項目にて纏めて解説する。
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