置戸駅かつて北海道常呂郡置戸町にあった北海道ちほく高原鉄道の駅 / ウィキペディア フリーな encyclopedia 親愛なるWikiwand AI, これらの重要な質問に答えるだけで、簡潔にしましょう:トップの事実と統計を挙げていただけますか 置戸駅?この記事を 10 歳向けに要約してくださいすべての質問を表示置戸駅(おけとえき)は、北海道常呂郡置戸町字置戸にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅(廃駅)である。国鉄・JR北海道池北線時代の電報略号はオケ。事務管理コードは▲120501[7]。 概要 置戸駅, 所在地 ...置戸駅 駅舎(2005年8月) おけと Oketo ◄小利別 (15.9 km) (4.4 km) 豊住► 所在地 北海道常呂郡置戸町字置戸北緯43度40分37.23秒 東経143度35分23.22秒所属事業者 北海道ちほく高原鉄道所属路線 ふるさと銀河線キロ程 109.4 km(池田起点)電報略号 オケ駅構造 地上駅ホーム 2面2線開業年月日 1911年(大正10年)9月25日[1]廃止年月日 2006年(平成18年)4月21日備考 ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅テンプレートを表示閉じる JR北海道当時の駅舎(ホーム側より撮影、1989年3月) 1977年、国鉄池北線時代の置戸駅と周囲1 km範囲。右上が北見方面。標高約220 m、周囲の山々と300 m程高低差のある谷筋に、木材搬出を主目的として作られた駅で、山を越えた北隣の石北本線留辺蘂駅と似ている。駅裏正面から池田側に北見営林局置戸営林署管轄の広大なストックヤード(土場)が広がる。その周囲には沢山の木工場が建てられており、駅裏は殆んど全て木材関係の施設が占めている。相対式ホーム2面2線と駅舎横の北見側に貨物ホームと引込み線、駅裏側に3本の留置線、そこからヤードの池田側へ2本の貨物積卸線が伸びる。かつてはもう一本ヤードの中央に伸びていたが、既に撤去されて軌道跡が小道状になっている。その積卸線と本線との間に建家があるが、置戸-陸別間にある池北峠越え用の補機用機関車の車庫で、以前はそのすぐ北見寄りに転車台があったが、撤去され埋められて殆んど痕跡が無くなっている[2]。かつてはこのヤードの南西端へ置戸森林鉄道が接続し、西方の常呂川上流、現在の鹿の子ダムよりさらに上流にある支流の上ホロカトコロナイ川や、勝山から南西に分かれる支流の仁居常呂川上流から、勝山に設けられた中継地を介して、木材を運び込んでいた[3][4][注釈 1]。写真左下に見える踏切よりも川寄り、本線の常呂川鉄橋手前に窪んでカーブして行く跡と本線の短い鉄橋が残っているが、軌道はそこを潜り抜けて、川を渡らずに旧道に沿って山裾を回り込みながら勝山へ向かっていた[2][5][6]。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
置戸駅(おけとえき)は、北海道常呂郡置戸町字置戸にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅(廃駅)である。国鉄・JR北海道池北線時代の電報略号はオケ。事務管理コードは▲120501[7]。 概要 置戸駅, 所在地 ...置戸駅 駅舎(2005年8月) おけと Oketo ◄小利別 (15.9 km) (4.4 km) 豊住► 所在地 北海道常呂郡置戸町字置戸北緯43度40分37.23秒 東経143度35分23.22秒所属事業者 北海道ちほく高原鉄道所属路線 ふるさと銀河線キロ程 109.4 km(池田起点)電報略号 オケ駅構造 地上駅ホーム 2面2線開業年月日 1911年(大正10年)9月25日[1]廃止年月日 2006年(平成18年)4月21日備考 ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅テンプレートを表示閉じる JR北海道当時の駅舎(ホーム側より撮影、1989年3月) 1977年、国鉄池北線時代の置戸駅と周囲1 km範囲。右上が北見方面。標高約220 m、周囲の山々と300 m程高低差のある谷筋に、木材搬出を主目的として作られた駅で、山を越えた北隣の石北本線留辺蘂駅と似ている。駅裏正面から池田側に北見営林局置戸営林署管轄の広大なストックヤード(土場)が広がる。その周囲には沢山の木工場が建てられており、駅裏は殆んど全て木材関係の施設が占めている。相対式ホーム2面2線と駅舎横の北見側に貨物ホームと引込み線、駅裏側に3本の留置線、そこからヤードの池田側へ2本の貨物積卸線が伸びる。かつてはもう一本ヤードの中央に伸びていたが、既に撤去されて軌道跡が小道状になっている。その積卸線と本線との間に建家があるが、置戸-陸別間にある池北峠越え用の補機用機関車の車庫で、以前はそのすぐ北見寄りに転車台があったが、撤去され埋められて殆んど痕跡が無くなっている[2]。かつてはこのヤードの南西端へ置戸森林鉄道が接続し、西方の常呂川上流、現在の鹿の子ダムよりさらに上流にある支流の上ホロカトコロナイ川や、勝山から南西に分かれる支流の仁居常呂川上流から、勝山に設けられた中継地を介して、木材を運び込んでいた[3][4][注釈 1]。写真左下に見える踏切よりも川寄り、本線の常呂川鉄橋手前に窪んでカーブして行く跡と本線の短い鉄橋が残っているが、軌道はそこを潜り抜けて、川を渡らずに旧道に沿って山裾を回り込みながら勝山へ向かっていた[2][5][6]。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成