紀元前800年代
- 紀元前800年頃
- ギリシア各地でポリス(都市国家)の誕生。
- 人口の大幅な増加、英雄祭祀と聖域の成立、都市への集住(シュノイキスモス)などが随伴して見られる。
- ギリシアの陶器は「幾何学様式」から「東方化様式(英語版)」に移行する。
- ギリシア人による地中海および黒海沿岸での植民市(アポイキア)(英語版)建設が始まる。
- アナトリア半島キリキア地方のカラテペ遺跡から出土したフェニキア文字と象形文字ルウィ語の併用の石碑(カラテぺ二言語併用石碑(英語版))が作られる。
- 中央ヨーロッパは鉄器時代初期でハルシュタット文化(ハルシュタットC期)が広がる。
- ハルシュタットは世界最古の塩坑があり、アルプス以北と地中海とを結ぶ「塩の道」の要衝となった。
- ハルシュタット東方にはルサチア文化(ラウジッツ文化)があり、その代表は現ポーランドのビスクピン(英語版)遺跡である。
- イベリア半島のグアダルキビル川下流域のタルテッソス王国が繁栄する。
- 「錫の国」と呼ばれた現在のイギリスのコーンウォール地方から錫を独占し、フェニキア人との交易も行われる。
- セビリア近郊で発掘された「カランボロの財宝(英語版)」が代表とされる。
- 中央アメリカのオルメカ文明はラ・ベンタ期( - 紀元前400年頃)。
- 南アラビアにサバア王国が成立する。
- 都マアリブの近郊にはマアリブ・ダム(英語版)が造営され、アワム神殿(英語版)やバラン神殿(英語版)が建てらる。
- イラン北西部ソルダス谷のテッペ・ハサンル遺跡(英語版)出土の「ハサンルの恋人たち」が埋葬される。
- 紀元前800-500年頃 - 古散文ウパニシャッド文献が成立する。
- 最古層の『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』が代表とされる。
紀元前780年代
- 紀元前789年 - 周の宣王が千畝の役(中国語版)で姜戎と戦うが敗退する。
- 紀元前786年 - ウラルトゥ王アルギシュティ1世が即位し、ウラルトゥの領土拡大が始まる。
- 紀元前780年 - 周で涇水・渭水・洛水の三川の水が涸れて岐山が崩れる大地震が発生(三川岐山地震)。
紀元前770年代
- 紀元前776年7月1日
- 紀元前776年9月6日
- 幽王六年十月朔日辛卯のこの年に日食が起こる(『詩経』「小雅・十月之交」)。
- 紀元前771年 - 申侯の乱で、鎬京が犬戎に攻められ西周の幽王が殺される。
- 幽王の子平王は鎬京を離れ洛邑に遷都し東周が成立(周の東遷)。
- これより春秋時代が始まる。平王を擁立した秦の襄公が諸侯に列する。
紀元前760年代
- 紀元前763年6月15日
- 紀元前762年 - 秦の文公が汧水と渭水の合流地点の秦邑に本拠を遷す。
- 紀元前760年頃
紀元前750年代
- 紀元前756年 - 洛邑の平王が鎬京の携王を倒し、周の王統は統一される。
- 紀元前753年 - カロプス(アルコン)(ドイツ語版)がアテナイのアルコンに就任し、これ以後アルコンの任期は10年となる。
- 紀元前753年4月21日
- 紀元前753年頃
- 紀元前8世紀半ば
- ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』が成立。
- ギリシア陶器が幾何学様式後期になり人物表現が復活する。
- 逸名絵付師「ディピュロン・マスター(英語版)」の「ディピュロンのアンフォラ」(アテネ国立考古学博物館蔵)が有名。
- クレタ島ドレロス(スペイン語版)のアポロン神殿から出土したアポロン・アルテミス・レトの青銅製三神像(Apollonian Triad AMH)が作成される(イラクリオン考古学博物館蔵)。
- トルコ南部(キリキア)アダナ県で出土したルウィ語とフェニキア語の二言語併記のチネキョイ碑文(英語版)が作られる。
紀元前740年代
- 紀元前745年 - ティグラト・ピレセル3世がアッシリア王となる。軍制改革が行われ常備軍が導入される。
- 紀元前743年 - 第一次メッセニア戦争始まる( - 紀元前724年)。
- 紀元前743年頃
- 紀元前740年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がシリアのアルパドを陥落させる。
- 紀元前740年頃
- ギリシア文字の最古級の銘文である「ディピュロンの銘文(英語版)」が刻まれた酒注ぎ(オイコノエ)が作られる(アテネ国立考古学博物館蔵)。
- フリギア王国の首都ゴルディオン(トルコのヤッス・ホユック(英語版)遺跡)の「ミダス王の墓(Tumulus MM)(ラテン語版)」が建てられる。
- ゴルディオンで最も大きな墳丘であり、最古級の木槨墓でもある。木製品などの副葬品が残存していた。
- アンカラのアナトリア文明博物館(英語版)に木槨墓が再現してある。
紀元前720年代
- 紀元前729年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世によるバビロニア遠征。ナブー・ムキン・ゼリを打倒しバビロンを占領。
- 紀元前728年 - メディアの初代国王デイオケスが即位し、都のエクバタナを建設する。
- 紀元前727年
- 紀元前724年 - イトメ山の戦いでのメッセニア王アリストデモスが自殺。スパルタが勝利しメッセニアを占領。
- 紀元前722年
- 紀元前720年 - サルゴン2世がダマスカスなどの反乱を鎮圧。
紀元前710年代
- 紀元前719年 - 衛の公子州吁が兄の桓公を殺害し君主となる。
- 紀元前717年
- 紀元前716年頃
- リュディアでヘラクレス家のカンダウレス王に代わり、メルムナス家のギュゲス (リュディア)(英語版)が王になる。
- アッシリア王サルゴン2世の石碑にサバア王国の王イタァアマルの貢納の記録が残る。
- 紀元前716年 - 初代ローマ王ロームルスが死去。
- 紀元前715年 - サビニ人ヌマ・ポンピリウスが第2代ローマ王に選出される。
- 紀元前714年 -
- アッシリア王サルゴン2世によりウラルトゥ王ルサ1世が大敗し、ムサシル(英語版)が陥落、領土を奪われる。
- 秦の寧公(憲公)が平陽に都を遷す。
- 紀元前713年 - アッシリア王サルゴン2世が新ヒッタイト系のタバル王国を制圧する。
- 紀元前712年頃 - ギリシア系メガラ人の植民市としてニコメディア(アスタコス(英語版))が建設される。
- 紀元前710年頃 - レラントス戦争によりハルキスとエレトリアがエウボイアの覇権をめぐり激突( - 紀元前650年頃)
紀元前700年代
- 紀元前709年
- アッシリア王サルゴン2世がバビロンを陥落させ「バビロニア王」を名乗る。
- フリギア王ミダス(ムシュキ王ミタ)がアッシリア王サルゴン2世に和平を申し入れる。
- 陘廷の戦いで、晋の分家である曲沃の姫称(後の晋の武公)が宗家の哀侯と小子侯を滅ぼす。
- 紀元前707年 - 東周の桓王が蔡・衛・陳と連合して鄭を攻撃したが撃退される(繻葛の戦い(中国語版))。
- 鄭の荘公はこの戦いで威信を高め「春秋の小覇」と呼ばれた。対して周王室の力の衰えが明らかになった。
- 紀元前706年 - スパルタのパルテニアイらによるタラス(イタリア半島南端の現タレントゥム)植民市の建設。
- 紀元前705年 - アッシリア王サルゴン2世がアナトリアの小国タバル(英語版)との戦争中に戦死。
- 紀元前704年 - 楚の熊徹が沈鹿の会盟を行い、王号を名乗る(楚の文王)。
- 紀元前703年 - アッシリア王センナケリブがバビロニア王メロダク・バルアダン2世を倒し、傀儡政権を擁立するがバビロニアの政情は不安定。
- 紀元前700年以前 - フリギア王国の「ミダス王の記念碑(英語版)(トルコのエスキシェヒル県のヤズルカヤ(英語版)遺跡)」が建てられる。
- 紀元前700年頃 - ヘシオドスの『神統記』『仕事と日』が成立。
- この頃日本で弥生時代が始まる(確定していない)。
- 中国の戦乱の余波を受け、中国から日本に移住が続いたことが想定されている。
- 古事記、日本書紀によると、紀元前711年に神武天皇が生まれたとされている(日本神話)。
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