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穴水 要七(あなみず ようしち、1875年(明治8年)1月19日[1][2] - 1929年(昭和4年)1月3日[1][3])は、明治後期から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・小野。
山梨県[3]巨摩郡、のちの北巨摩郡旭村[1][4](現韮崎市)で、小野八左衛門の二男として生まれる[1][2]。甲府市金手町の穴水嘉三郎の店に奉公し、1898年(明治31年)7月、嘉三郎の養子となる[1][2][4][5]。米相場で失敗して破産した[5]。
1901年(明治34年)横浜に移り米穀、肥料、食塩商を営む[1]。1908年(明治41年)上京して富士製紙に入社し、実績を積み1918年(大正7年)専務取締役に就任した[1][4][5]。製紙業に重要な電力に関心を向け、1921年(大正10年)北海道電燈(のち大日本電力)を設立して社長となる[5]。その他、中央ゴム工業社長、小武川電力社長、登帆炭鑛社長、士別軌道社長なども務めた[3][6]。
牛田唯一の死去に伴い1918年(大正7年)12月に実施された第13回衆議院議員総選挙山梨県郡部補欠選挙で初当選[1][4][7]。以後、第16回総選挙まで再選され、衆議院議員に4期在任した[3]。この間、立憲政友会総務などを務めたが[1]、議員在任中の1929年1月に死去した[8]。墓所は鶴見總持寺。
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