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福間 元道(ふくま もとみち)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。下松藩家老。父は福間元明。通称は彦三郎、彦右衛門尉、淡路。
元亀3年(1572年)、毛利氏家臣の福間元明の子として生まれる。天正13年12月13日(1586年2月1日)に元服し、毛利輝元から「元」の字を賜って元良(後に元道)と名乗る。
天正14年(1586年)の九州征伐において、父・元明が戦死したことにより、その後を継いだ。天正19年12月13日(1592年1月27日)には輝元より、「彦右衛門尉」に任じられている。
慶長8年(1603年)に毛利輝元の次男・就隆の御守御老として粟屋元相が付けられた際、奈古屋元忠、榎本元信と共に御抱守御用人となった。この時、萩藩において500石を与えられていたが、嫡男の就辰へ譲り、隠居の身分で就隆の家臣として付けられた。翌慶長9年(1604年)には就隆付きの御抱守御用人となり、元和3年(1617年)に就隆へ周防都濃郡3万石が与えられた際には家老となった。
元和5年(1619年)、福島正則の改易に伴う広島城接収に際し、幕府は萩藩主・毛利秀就に出兵を命じたが、この際に毛利就隆は加勢として元道に一隊の兵を預けて広島に派遣した[1]。
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