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平安時代中期の貴族。正四位上・播磨守、贈従三位 ウィキペディアから
源 済政(みなもと の なりまさ)は、平安時代中期の貴族。宇多源氏、大納言・源時中の子。官位は正四位上・播磨守、贈従三位。
一条朝前期に六位蔵人・式部大丞を経て、長徳年間に従五位下に叙爵。のち、五位蔵人や阿波権守・信濃守などの地方官を務め、長保4年(1002年)従四位下に叙せられる。この頃、右近衛少将に任ぜられると、寛弘6年(1009年)左近衛少将、寛弘7年(1010年)右近衛中将と一条朝後半は近衛次将を務めた。
その後、中将を辞して修理権大夫や太皇太后宮亮などの京官を務め、長和2年(1013年)正四位下に叙せられている。また、美濃守・讃岐守・近江守・丹波守・播磨守など、三条朝・後一条朝・後朱雀朝の三朝に亘って地方官も歴任した。しかし、公卿昇進はならず、位階は正四位上に留まる。
管絃の名手としても知られ、宮中での御遊でしばしば笛を担当している[2][3]。
藤原道長室である源倫子の甥でありながら、済政は中宮・藤原定子方と親しく、『枕草子』「御仏名のまたの日」の段に箏の奏者として、琵琶の源道方・横笛の平行義・笙の源経房とともに登場する。清少納言が同僚の讒言を受けて里居していたころ、元夫の橘則光以外に居場所を知らせたのは経房と済政の二人くらいであったという。
脚注がないものは『諸家伝』による。
注記のないものは『尊卑分脈』による。
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