清弁
ウィキペディア フリーな encyclopedia
清弁(しょうべん、梵: Bhāviveka, バーヴィヴェーカ、梵: Bhavya, バヴィヤ、梵: Bhāvaviveka, バーヴァヴィヴェーカ)は、490年頃から570年頃のインド仏教の中観派の学者である。
唯識派の陳那の影響を受け、龍樹の『中論』に表れる空の思想を論理学的な推論式によって積極的に論証するという方法を確立した[1]。しかしその論理学的方法は、後に月称(7世紀)によって批判された。
チベット仏教の教学においては、この月称による批判をもって中観派は自立論証派(スヴァータントリカ)と帰謬論証派(プラーサンギカ)に分裂したとする。