中華人民共和国の自治州 ウィキペディアから
海西モンゴル族チベット族自治州(かいせい-モンゴルぞく-チベットぞく-じちしゅう、モンゴル文字:ᠬᠠᠢᠢᠰᠢ ᠵᠢᠨ
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ᠵᠸᠤ 転写:Qayisi-yin Moŋɣol Töbed öbertegen jasaqu jėü、チベット文字:མཚོ་ནུབ་སོག་རིགས་ཆ་བོད་རིགས་རང་སྐྱོང་ཁུལ་)は、中華人民共和国青海省に設置されたチベット族およびモンゴル族を自治の主体民族とする自治州。
中華人民共和国 青海省 海西モンゴル族チベット族自治州 ᠬᠠᠢᠢᠰᠢ ᠵᠢᠨ ᠮᠣᠨᠭᠭᠤᠯᠲᠥᠪᠡᠳᠦᠨᠳᠦᠰᠦᠲᠡᠨ ᠦᠦᠪᠡᠷᠳᠡᠭᠡᠨ ᠵᠠᠰᠠᠬᠤ ᠵᠸᠤ མཚོ་ནུབ་སོག་རིགས་ཆ་བོད་རིགས་རང་སྐྱོང་ཁུལ་ | |
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沱沱河 | |
青海省中の海西モンゴル族チベット族自治州の位置 | |
中心座標 北緯37度18分 東経97度24分 | |
簡体字 | 海西蒙古族藏族自治州 |
繁体字 | 海西蒙古族藏族自治州 |
拼音 | Hăixī |
カタカナ転写 | ハイシィ |
モンゴル文字 | ᠬᠠᠢᠢᠰᠢ |
モンゴル語キリル文字 | Хайси |
チベット語 | མཚོ་ནུ |
ワイリー方式 | mtsho-nub |
蔵文拼音 | Conub |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 青海 |
行政級別 | 自治州 |
面積 | |
総面積 | 325,800 km² |
人口 | |
総人口(2003) | 36 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0977 |
郵便番号 | 817000 |
ナンバープレート | 青H |
行政区画代碼 | 632800 |
公式ウェブサイト: http://www.haixi.gov.cn/ |
チベット名のツォヌプの「ツォ (mtsho)」、モンゴル名の「ノール ᠨᠠᠭᠤᠷ」とは「青海湖(チベット名:ツォ・ティショル・ギャルモ (mtsho khri shor rgyal mo)、モンゴル名:フフ・ノール ᠬᠥᠬᠡᠨᠠᠭᠤᠷ) を、チベット名「ヌプ (nub)」、モンゴル名「バロン ᠪᠠᠷᠠᠭᠤᠨ」」とは「西」を意味し、あわせて「ツォ・ティショル・ギャルモの西」を意味する。中国名「海西」は、その逐語訳である。
自治州面積は青海省の45%を占める。州都はデリンハ市。チベットの伝統的な地理区分ではアムド地方の北部に相当する。またモンゴル人が伝統的に「デート・モンゴル(高地モンゴル)」と称してきた地の大部分を占める。
チベット高原北部、青海省の西部に位置し、西は新疆ウイグル自治区、北は甘粛省、南は青海省の玉樹チベット族自治州およびゴロク・チベット族自治州、東は青海省の海北チベット族自治州および海南チベット族自治州と接する。また本州の西南方には、玉樹チベット族自治州とチベット自治区のナクチュ市に囲まれた飛地がある。
自然地理的には中国四大盆地のひとつであるツァイダム盆地に所在し、北はアルチン山脈・祁連山脈、南はバヤンカラ山脈に囲まれている。州内の平均海抜は 3,000 メートル前後、年平均気温は摂氏マイナス5.6度からマイナス5.2度で寒冷な大陸性高原気候である。州東部は農牧地帯、州西部は鉱工業地区となっているが、大部分は人煙稀な地域である。
古代には西羌の地であり、東晋後期から隋唐時代には吐谷渾や吐蕃の支配下にあった。漢平帝の元始4年(西暦4年)、王莽が西海郡を設置し、現在の海西地方の東部がその管轄下に入った。晋代にはこの地域が吐谷渾の支配下に置かれた。隋の大業5年(609年)、隋軍が吐谷渾を撃破し、その地に4つの郡を設置した。このうち、東部は西海郡、西部は鄯善郡の管轄下に入った。唐の龍朔3年(663年)、吐蕃が吐谷渾を滅ぼし、その地を支配するようになり、現在の海西モンゴル族チベット族自治州の地域は吐蕃の腊城節度使の管轄下に置かれた。この地域シルクロードの間道にあたり、東西交通史で重要な役割を果たしている。この頃の史跡として、国家重点文化保護単位である都蘭県の熱水吐蕃古墓群などがある。
元代には、この地域は吐蕃等処宣慰使司都元帥府と甘粛等処行中書省沙州路に属した。明の初期には安定、阿瑞、曲先、罕東の4衛が設置され、これらは「塞外四衛」と呼ばれ、西寧衛が兼管していたが、東モンゴル諸部が進入し、1639年よりグシ・ハン属下のオイラト族が移住し、彼らはグシ・ハン王朝の権力基盤となった。
清の雍正3年(1725年)には、雍正帝のチベット分割により青海地方を清の管轄とし、欽差大臣である青海蒙古番子事務大臣の管轄下に置かれた。辛亥革命後は、この地域を支配していた馬氏政権が中国国民党と連携し実効支配していた。
民国6年(1917年)、この地域は都蘭理事の管轄下に置かれた。民国19年(1930年)、都蘭理事は都蘭県に改称され、現在の海西モンゴル族チベット族自治州全域を管轄し、青海省に属した。民国27年(1938年)、現在の都蘭県に青海省第八行政督察専員公署が設立された。民国30年(1941年)、これが青海省第一行政督察専員公署に改称された。民国32年(1943年)、都蘭県から分割され、香徳設治局が設置され、その行政中心は現在の都蘭県香日徳鎮に置かれた。民国35年(1946年)、香徳設治局は廃止された。
1949年、馬氏政権と中国国民党は国共内戦で中国共産党の中国人民解放軍に敗北、この地域は中華人民共和国の支配下に入った。
1952年、都蘭県は都蘭自治区に改編された。1953年、都蘭自治区から分割され天峻チベット族自治区が設置された。1955年12月12日、海西モンゴル族チベット族カザフ族自治州に改称され、同年に都蘭自治区は都蘭県に、天峻チベット族自治区は天峻県に改編された。1958年8月8日、自治区は自治州に改称され、海西モンゴル族チベット族カザフ族自治州が設立された。その行政中心はチャガンウス(察汗烏蘇)に置かれた。
1959年、自治州の首府は大柴旦に移され、同年に烏蘭県が設立された。1963年には自治州が海西モンゴル族・チベット族・カザフ族自治区に再び改称され、首府はデリンハに移された。1980年6月、ゴルムド県がゴルムド市に改編された。1985年5月21日、海西モンゴル族・チベット族自治州に改名された。1988年4月19日には、デリンハ市が設立。2018年2月22日、旧茫崖行政委員会と冷湖行政委員会が統合され、茫崖市が設立された。
3県級市・3県・1行政委員会を管轄する。
総人口37万人のうち、漢族が最多で30万人近く、モンゴル族2.5万人、チベット族4.1万人、残りは回族などわずかである。近年の移住によって漢族人口が増加した。
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