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江戸時代後期の大名。因幡鳥取藩11代藩主。従四位上侍従、因幡守。鳥取藩池田家宗家13代。前田斉泰の四男 ウィキペディアから
池田 慶栄(いけだ よしたか)は、江戸時代後期の大名。因幡鳥取藩の第11代藩主。官位は従四位上・侍従、因幡守。
加賀藩主前田斉泰の四男として誕生した。母は徳川家斉の娘・溶姫。幼名は喬心丸。
嘉永元年(1848年)、10代藩主池田慶行が17歳で早世したが嗣子がいなかったため、幕府は喬心丸(時の将軍徳川家慶の甥にあたる)を藩主に、鹿奴藩主池田仲律の娘で慶行の同母妹にあたる延子(後に整子〔さだこ〕)を嫁がすよう指示した。嘉永2年(1849年)、喬心丸は伯父である家慶の前で元服し、偏諱を受け慶栄と名乗り、従四位上・侍従に叙任、因州池田家代々の因幡守を名乗る。
翌嘉永3年(1850年)、慶栄は初めての国入りのためその途についたが、江戸から鳥取への道中で病に罹り、京都の伏見藩邸にて急死した。享年17。慶栄の死は、他家からの養子を快く思わない鳥取藩による毒殺との噂が流れた。嗣子が無かったことから、水戸藩主徳川斉昭の五男・昭徳(池田慶徳)が養子となって跡を継いだ。
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