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日本の国際政治学者 (1929-2022) ウィキペディアから
武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで、1929年10月21日 - 2022年5月23日)は、日本の国際政治学者。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター前所長であり特任教授。明治学院大学国際平和研究所客員所員[1]。専門は国際政治学、平和学。学位は政治学士(学習院大学)。
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公益財団法人朝鮮奨学会理事[2]、国連大学副学長、国際人権NGO・反差別国際運動(IMADR)日本委員会理事長などを歴任[3]。
藤原北家の支流・閑院流の末裔で元貴族院議員、駐独大使を務めた武者小路公共の三男としてブリュッセルで生まれる。武者小路実光は異母兄にあたる。祖父は日本鉄道会社発起人で裁判官の武者小路実世。外祖父は伊東義五郎。外祖母の伊東満里子(フランス名マリ・ルイーズ・フラパース)はフランス海軍軍人テオドール・フラパースの娘であり、公秀自身はフランス人とのクオーター(4分の1混血者)である。叔父に小説家の武者小路実篤、従兄に西園寺公一。学習院大学政治経済学部卒業。
徹底した反米、反体制、反権力主義者。人権擁護法案の推進者の一人であり、同法案の草案をつくった人権フォーラム21の代表で推進派の部落解放同盟との関係も深い。またチュチェ思想国際研究所理事や、坂本義和と共に朝鮮労働党と日本共産党の関係改善の斡旋役を務め[4]、2007年には朝鮮総連が主催する在日本朝鮮人中央大会に来賓あいさつを述べている[5]。また、2008年にはチュチェ思想全国フォーラムに講師として招かれた[6]。親北朝鮮の季刊誌『金日成・金正日主義研究』にも反覇権主義、反植民地主義についての論考を寄稿している[7]。
1986年から1988年まで、世界政治学会(IPSA)会長を務めたが、この選出は、アジアから会長を出すことになり、アジア代表候補となり、また旧ソ連も支持した。これを第三世界に担がれて世界政治学会(IPSA)会長になったと述べている[8]。
国連大学副学長時代にポーランドのゴレンビュフスキーをプログラム・オフィサーに迎えたことについて「いまでも彼はKGBのエージェントでないかと思っている。どうせ国連大学には、CIAのからのスタッフが入っているからKGBもいれておいたほうがいいだろうと思って(笑)[9]」と述べている。
アメリカ同時多発テロ事件後は、「イスラーム世界と日本とは、共通の西欧近代の超克という課題をもっている」として、「西欧中心の「オリエンタリズム」的現実を、一日も早く清算する必要がある」、「私たち日本人は、日本が「イスラーム」と一緒に非文明の側に分類されているという基本的な事実を忘れてはいけない」と主張し、「かつての日本の「カミカゼ=特攻精神」と今回のイスラーム「原理主義」テロリストに、共通するひとつの心情がある」と、戦時中の日本の精神性とイスラーム原理主義との間の共通性を指摘した[10]。
カトリック教徒であり、カトリック正義と平和協議会などが主催する講演会でも、しばしば講演している。
2019年には大阪で開催されたG20サミットに際し、中華人民共和国におけるウイグル人など先住民族の人権問題に触れ「21世紀を、対話による和解の世紀に」[11]と題した声明を発表するなど、晩年まで平和・人権問題の解決に尽力した[12]。
2019年9月、自宅にて転倒。療養生活に入る。翌2020年1月、最終更新となったブログには「SDGゲーミングをひろげれば、老人でも今日の若者たちと気持ちを通わせる可能性があるという「夢」を見ています。本年もよろしくお願いいたします。」と結ばれている[13]。
2022年5月23日に死去したことが同年7月、国際連合大学によって発表された[14]。92歳没。
単著、共著でも編著なく、共編著、訳書でもないもの
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