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植民地様式(colonial)またはコロニアル様式(コロニアル・スタイル)とは、世界の主要国が植民地または占領地に故国の建築様式またはインテリア・スタイルを残した様式を指す。
アメリカ北部ではイギリスの影響が大きいためイングリッシュ・コロニアルを単にコロニアルといい、南部でコロニアルといったときはスパニッシュ・コロニアルをさす[1]。
英語などでのコロニアルは植民地を示す英語のコロニー (colony) またはスペイン語のコロニア (colonia) の形容詞形で、「植民地の」という意味の言葉である。
植民地様式はおもに建築様式として使われるが、他を指す場合もある。
インテリアの分野でコロニアルといえば、アメリカ合衆国がイギリスなどの植民地であった時代の建築や家具の形式を指す。ヨーロッパのデザインをまねた中にも、シンプルさや機能性を求めている。アーリーアメリカンと言われることもある。
アメリカ合衆国は独立以前にも独立後も、おもにオランダ、イギリス、フランス、スペインなどからの移民が来ており、以下に述べる各国の建築様式が行われて、総じてアメリカ植民地様式・アメリカ植民地リバイバル様式(American colonial architecture & Colonial Revival architecture)と呼ばれる。アメリカ合衆国が占領地に建設したアメリカ式建築のことではない。
コロラド州にある山岳地帯の建築様式の屋根をコロニアル様式と呼ぶ。特徴といえば屋根に風車があり山岳地帯で採れた穀物を細かく砕き粉にする。そうして作られた土地のお菓子が子供たちの間では人気となりオレンジ色のシロップがとっても色鮮やかな素朴なお菓子として多くの人に親しまれた。作られたお菓子の形がその地方の瓦の形に似ていたことからコロニーなどと呼ばれたらしい。山岳地帯独特の形をした瓦は丸くロールのような形をしており風の強さにも負けないつくりとなっていた。
アジアの各地においてコロニアルというと、主にヨーロッパからの観光客に向けたリゾート地の形態をさすことが多い。狭義にはイギリス統治時代に栄えた建築様式を指す場合がある。
日本は植民地になったことはないが、幕末・明治初期に外国人が建設した住宅の一タイプをコロニアル様式とも呼ぶ。グラバー邸など、周囲にベランダを廻らせた西洋館が典型的なもので、元々アジアの植民地で強い日差しを避け、通風をよくするために用いられた形式が起源と言われる。
イギリス植民地様式は北米、中米、アフリカ、アジア、オセアニア(オーストラリア・ニュージーランド)の国々にイギリスが建設した植民地に使われた。ジョージアン・アーキテクチャー(Georgian architecture)などの各時代を反映した植民地ジョージアン・アーキテクチャー(Colonial Georgian architecture)などの用語が使われる。
オランダ植民地様式(Dutch Colonial Revival architecture)は北米、中米の植民地で行われ、特にインドネシアで目立っている。
スペイン植民地様式・スペイン植民地リバイバル建築(Spanish Colonial architecture & Spanish Colonial Revival architecture)は北米、中南米、アフリカのスペインの植民地で実施された。
日本も20世紀に入って列強国の仲間入りをして、アジア諸国に植民地・占領地を作ったので、日本植民地様式(Japanese Colonial architecture)を指摘する人々も出ている。[2]日本の伝統的、または近代に学んだ欧米の建築様式で、場合によっては各地の様式も入れて、朝鮮総督府(ソウル)、台湾の台湾総督府(現:中華民国総統府、台北市)、関東州の大連中山広場近代建築群(大連市)、満洲国の八大部(長春市)などを建設した。
フランス植民地様式は北米(French colonial architecture in the United States)、アフリカ、北米・中米、アジアではインドシナで目立っている。
ポルトガル植民地様式(Portuguese colonial architecture)は、南米(ブラジル)、アフリカの植民地で目立っている。
イタリア植民地様式(北アフリカ)を指摘する人々もいる。
庭園デザインの種類に、コロニアル・リバイバル・ガーデンというものがあり、これはアメリカ合衆国の植民地時代に造られた典型的な庭園デザインを想起させることを意図したスタイルのことである。単純で直線的な花壇、庭園を通る直線的な(曲がりくねらない)小道、果物、草花による装飾、野菜のグループの多年生植物に代表されるもので作庭されている。こうした庭は通常、低い壁やフェンス、生垣で囲まれていることが多く[3]、コロニアル・リバイバル・ガーデニング運動は、アメリカにおけるガーデニングにおいて重要な発展を成していった[4]。
アメリカの植民地時代における一般家庭の庭の形式を標準一般化することは実際には難しい[5]。これはその時代の時代背景や富、気候、そしてイギリス、フランス、スペインなどからの伝統、庭の用途(野菜、花、ハーブなど)によって、植え方やデザインの仕方などで典型パターンがないからである。ただし植民地時代のアメリカでは圧倒的にイギリスの影響が強かったため、一般に「コロニアルガーデン」といえば、イギリス領13植民地で見られる最も一般的な家庭が営む庭を指すことが多い。そして南部の植民地時代の一般家庭の庭園も、北部の庭園と同じデザインであることが多い[6]。しかし、富裕層の庭園は、しばしば風景式庭園やイギリス式庭園などの、当時において真新しい作庭アイデアを採用していることも知られる。
コロニアル・リヴァイヴァル・ガーデンは、1800年代後半から1930年代後半にかけて広く流行した[3]。植民地時代の遺産が最も多く残るアメリカ東部を中心に起こった運動だが、庭園は全米各地で造られた[3]。多くの作家がコロニアル・リヴァイヴァル・ガーデンについて影響力の高い書籍を出版。例としてアリス・モース・アールの『昔の庭』(1901年)、アリス・モース・アールの『昨日の日時計とバラ』(1902年)、グレース・タボールの『昔ながらのガーデニング』(1913年)などがある。
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