Remove ads
日本の江戸時代前期の大名。江戸幕府旗本松平真次長男で、三河大給藩初代藩主(1万6000石)。真次流大給松平家2代。従五位下縫殿頭。大坂定番・江戸城留守居役・大番頭等を歴任 ウィキペディアから
松平 乗次(まつだいら のりつぐ)は、江戸時代前期の大名。三河国大給藩初代藩主。真次流大給松平家2代当主。官位は従五位下・縫殿頭。
寛永9年(1632年)3月20日、7000石の旗本である松平真次の長男として誕生。真次は男子に恵まれなかったため、乗次が誕生する前に養子として乗真を迎えていた。そのため正保3年(1646年)に真次が死去すると、その領地と家督をめぐって両者が争った。結局は3代将軍・徳川家光の裁定により、乗次が家督と4000石、乗真が3000石をそれぞれ相続することとなった。
寛文2年(1662年)3月7日に小姓組番頭に任じられ、12月7日に従五位下・縫殿頭に叙位・任官する。寛文9年(1669年)7月8日に書院番頭に任じられ、寛文12年(1672年)12月3日に大番頭に任じられ、延宝9年(1681年)9月14日に江戸城留守居役に任じられるなど、幕府の要職を歴任したことから、天和2年(1682年)4月21日に丹波国何鹿郡・氷上郡などで2000石を加増された。
天和3年(1683年)7月に江戸城大奥の普請役を命じられ、貞享元年(1684年)に大坂定番に任じられると同時に摂津国・河内国・丹波などで1万石の加増を受けて合計1万6000石の大名となり、大給藩主となった。
しかし領地に入部することもなく、家督相続から3年後の貞享4年(1687年)8月30日に死去した。享年56。跡を長男・乗成が継いだ。
父母
正室
子女
養子
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.