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大韓民国釜山広域市東萊区にある温泉 ウィキペディアから
東萊温泉(동래온천、東萊溫泉、トンネおんせん)は大韓民国の釜山広域市東萊区にある温泉。
新羅時代から王族が利用したといわれる歴史ある温泉であるが、現在は大都市の市街地の中にある温泉場となっている。
近くには釜山大学校や金剛公園がある。
三国遺事には、683年の記事に新羅の宰相が東萊温泉に入浴した記事が載っている。東国与地勝覧(1481年編纂)の中に、新羅王がしばしば入浴のために行幸したとの記載がある。
他に「白鷺伝説」も伝わる。当地にかつて田んぼがあった。足を折った鷺が飛来し3日間休養の後、飛び去った。飛び去った跡には湯が湧いていたという[1]。
李氏朝鮮時代の末期から日本統治時代にかけて開発が行われ、現在では観光地として定着している。
光武2年(1898年)、東莱温泉は大韓帝国と大日本帝国との間で賃借契約が結ばれ、日本人専用の風呂付旅館である八頭司の営業が開始し、また対馬厳原町出身の日本人大富豪の豊田福太郎が蓬莱館(現在のホテル農心)という大きな旅館を開業した。
大正4年(1915年)、釜山市電が釜山鎮から東莱温泉場まで運行を開始し、東莱温泉では日本人と朝鮮人の富裕層が風流とロマンを満喫した。
虚心庁(ホシンチョン)は、 4,000m2 以上の広大な施設を持つ健康ランドで、巨大な浴場のほか、サウナ、垢すりなどがある。
かつて東莱公設浴場があった跡地にある露天の足湯施設であり無料で利用することができる。入口脇にはタオルが1,000ウォンで購入できる自動販売機がある。
東莱別荘(동래별장)は迫間房太郎が創建して、「迫間湯源」と名付けた建坪1,000坪あまりの大規模な邸宅であり、3,000坪あまりの庭園がある。樹齢200~300年の松を始め、さまざまな樹木が植えられており、蓮池もある。広大な庭園付の二階建ての和風建築物である。
迫間房太郎は和歌山県那賀郡池田村の出身で大阪の五百井商店の手代として勤務していたが、明治13年(1880年)、21歳で支配人として釜山に赴任した。
明治22年(1899年)に独立し、水産業・倉庫業・穀物貿易業で財を築き、土地や家屋を買収して不動産王となり、釜山商業銀行や朝鮮貯蓄銀行の役員、釜山土地株式会社の社長等を務めて釜山三大富豪の一人となった。
大正13年(1924年)9月には、皇族の閑院宮が迫間別荘に宿泊したことがある。
昭和20年(1945年)8月15日、朝鮮が日本の統治から解放された後には、米軍政庁の執務室として使用され、朝鮮戦争の時には、韓国副大統領の官邸として使用された。
1965年に、外国から国賓も訪れる朝鮮宮廷料理の高級料亭としての東莱別荘となり、今日に至っている。
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