本因坊秀哉
明治~昭和期の囲碁棋士 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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本因坊 秀哉(ほんいんぼう しゅうさい、1874年(明治7年)6月24日- 1940年(昭和15年)1月18日)は、明治から昭和にかけての囲碁の棋士。家元本因坊家の二十一世で、終身名人制の最後の名人。東京出身、本因坊秀栄門下、本名は田村保寿(やすひさ)。法名は日温。
引退後に本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、選手権制の本因坊戦創設に導いた。棋風は力戦に強く、「序盤に策あり」と言われた。2008年囲碁殿堂入り。
囲碁棋士の高橋俊光は義弟[1](秀哉の妻の弟)。