春日局
日本の安土桃山~江戸時代の女性、大名・稲葉正成の継室、征夷大将軍・徳川家光の乳母 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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春日局/斎藤福(かすが の つぼね/さいとう ふく、天正7年〈1579年〉 - 寛永20年9月14日〈1643年10月26日〉)は、安土桃山時代から江戸時代前期の江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。
概要 かすがのつぼね / さいとうふく 春日局 / 斎藤福, 生誕 ...
かすがのつぼね / さいとうふく 春日局 / 斎藤福 | |
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春日局(斎藤福) | |
生誕 |
天正7年(1579年) 丹波国 黒井城 (現・兵庫県 丹波市春日町黒井) |
死没 |
寛永20年9月14日(1643年10月26日〉) 武蔵国 江戸 |
配偶者 | 稲葉正成 |
子供 |
正勝 正定 正利 養子:堀田正俊 |
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父は美濃国の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三、母は稲葉良通(一鉄)の娘である安、又は稲葉一鉄の姉の娘於阿牟(おあむ)[1][2]、養父は稲葉重通。稲葉正成の妻で、正勝・正定・正利の母。養子に堀田正俊。江戸城大奥の礎を築いた人物であり、松平信綱・柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人に数えられた。また、朝廷との交渉の前面に立つ等、徳川政権の安定化に寄与した。