日産・セドリックセダン
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日産・セドリック/グロリアセダンは、日産自動車が製造していたセダン型の乗用車であるセドリックとグロリアのうち、ドアに窓枠がついたタイプのモデルである。
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この項目では、自家用車としてのセドリックセダンについて説明しています。
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日産・セドリックと、プリンス自動車に由来するグロリアは、登場当初からいずれも窓枠のある4ドアセダンが販売の主力であった。その他、ワゴンやライトバンなどの派生車種も存在した。
日産自動車とプリンス自動車の合併後、1971年2月に登場した230型から、セドリックとグロリアはバッジエンジニアリングによる姉妹車となった。この230型セドリック/230型グロリアから、セダンのボディ形式が4ドアセダン、サッシュレスでBピラーを持たない4ドアピラーレスハードトップ(以下「4ドアHT」)、2ドアピラーレスハードトップ(以下「2ドアHT」)の3種類に増えた。その後、2ドアHTは330型をもって設定されなくなり、430型以降は4ドアセダンと4ドアHT、ワゴン/バンの3種類となった。カタログ上は、窓枠を持つ4ドアを「セダン」、サッシュレスの4ドア/2ドアを「ハードトップ」と表記するようになった。
日産では4ドアセダンを主に法人向け、4ドアHTを一般向けとしてマーケティングを行った。後に、ライバルのトヨタ自動車もクラウンで同様のマーケティングを行うようになる。セドリック/グロリアセダンは法人向けとして、社用車、公用車、パトカー、タクシー、ハイヤー、教習車などに多く使用された。セドリック/グロリアセダンは、自家用と営業車(タクシー仕様)の二つに大きく分かれる。本項では自家用モデルを中心に解説する。営業車は「日産・セドリック営業車」の項目を参照。
「セドリック/グロリアセダン」が正式な車名として使用されるようになったのは、ハードトップがY32系に移行した1991年からである[1]。
日産自動車がルノーの傘下に入った1999年8月に、グロリアセダンはセドリックセダンに吸収される形で消滅し、2002年8月には自家用のセドリックセダンも生産終了した。その後は営業車のみとなり、2014年12月まで生産が継続された。