広如
幕末の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派20世宗主。西本願寺住職。法印大僧正 ウィキペディアから
幕末の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派20世宗主。西本願寺住職。法印大僧正 ウィキペディアから
広如(こうにょ)は、幕末の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第20世宗主。西本願寺住職。諱は光沢。院号は信法院。法印大僧正。養父は第19世本如。実父は第18世文如の三男文淳。母は顕証寺闡教(文如の弟)の娘。室は九条尚忠の養女・祥子(鷹司政煕息女、光輝院如順)。第21世明如(大谷光尊)は五男。
寛政10年(1798年)、河内国顕証寺住職文淳(近松暉宣)の次子に生まれる。一旦は顕証寺住職に就くが、文政2年(1819年)に第19世宗主本如(文淳の兄)の養子となり、文政9年(1823年)に第20世宗主を継職。
1男4女をもうけるも早世、鷹司家より迎えた養子も早世したが、その後光尊(明如)が誕生。顕証寺より迎えた徳如(継職前の1868年(明治元年)に死去)、明如の3門跡が揃う一時期があった。
1871年(明治4年)8月19日に示寂した。光尊(明如)が第21世となる。
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