岩畔豪雄
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岩畔 豪雄(いわくろ ひでお[1]、1897年10月10日 - 1970年11月22日)は[2]、日本の陸軍軍人[2][3]。最終階級は陸軍少将。
概要 岩畔 豪雄, 生誕 ...
岩畔 豪雄 | |
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岩畔豪雄 | |
生誕 |
1897年10月10日 日本 広島県 安芸郡倉橋島 |
死没 | (1970-11-22) 1970年11月22日(73歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1918年 - 1945年 |
最終階級 | 少将 |
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陸軍中野学校(設立時の名称は防諜研究所)の設立他、多くの諜報機関の設立に関わり[4][5][6][7]、「謀略の岩畔」の異名をとった[3][8][9][10][11]。また日米開戦回避に奔走した他[12]、戦中はインド国民軍(INA)及び自由インド仮政府の樹立に中心的に関わった。戦後は京都産業大学設立者として理事を務めた[1][2][3][13]。