岩崎孫八
陸軍中佐 ウィキペディアから
陸軍中佐 ウィキペディアから
岩崎 孫八(いわさき まごはち、1887年(明治20年)10月31日[1][2][3] - 没年不詳[3])は、陸軍中佐。昭和時代前期の政治家。宮城県石巻市長。
仙台市出身[1]。1904年(明治40年)陸軍少尉任官。1930年(昭和5年)陸軍中佐に進む[1]。予備役となり、石巻市会議員、県方面委員、石巻市協和会会長、郷軍石巻連合分会長などを歴任する[1]。
1938年(昭和13年)12月26日に石巻市長に就任[2]。在任中は石巻市立実業女学校の開校。東北振興パルプ石巻工場の操業、保健所の開設、市民病院の開院があった[2]。一方で戦時体制は強化され、翼賛市常会の設置[4]、下部組織としての町内会、隣組の結成[4]、警防団が組織され[5]、岩崎は常に戦闘訓練の先頭に立った[4]。
1942年(昭和17年)市長の任期満了を迎え、市長を元第二師団長で陸軍中将の高木義人を推す動きがあり[注 1]、市会内部で対立が起きた。高木は市長就任を辞退したため、岩崎が市長に再任された[6][7]。2期目の1943年(昭和18年)には市の行政機構の再編があった[8]。しかし、戦況は悪化し、1945年(昭和20年)石巻も空襲を受け、死者を出した[2]。やがて終戦を迎え、市民生活の再建が大きな課題となった[9]。翌1946年(昭和21年)公職追放を前に3月に市長を辞職した[10]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.