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幕末期の桑名藩士、明治時代の司法官僚、大審院判事 ウィキペディアから
岡村 為蔵(おかむら ためぞう、天保14年5月25日(1843年6月22日) - 大正4年(1915年)2月21日)は、幕末期の桑名藩士、明治時代の司法官僚、大審院判事。
越後国山室(現在の新潟県柏崎市)に、行田常冶改め常左衛門の次男として生まれ、まもなく山室の庄屋岡村家第14代権之丞の娘と入婿して岡村家を継ぐ。14歳で庄屋見習。慶応3年(1867年)桑名藩柏崎陣屋から郡中取締役を申し付けられ、その年の6月には一代苗字帯刀を許され武士となる。桑名藩が戊辰戦争で鯨波戦争を最後に敗走し、新政府が柏崎民政局を置くと、民政局御用掛となり、敗戦処理の経験を買われて会津戦争の戦後処理のため、若松県に2年出向。
上京して慶應義塾に学び[1]、柏崎県が誕生すると、司法省へ出仕。明治6年より山梨裁判所3級判事補となる。明治8年、九州で士族反乱が活発になると、福岡県権大属聴訟課刑事課長。翌9年一等等警部となり第一戦の指揮官となる。まもなく西南戦争、秋月の乱、福岡の変、田原坂の戦いと転戦。鎮圧に成功すると、大阪上等裁判所判事として再度司法省に出向。3年後には千葉始審裁判所所長として5年着任、明治24年(1891年)に大審院判事となる。
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