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岡崎電気軌道100形電車(おかざきでんききどう100がたでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者の一つである岡崎電気軌道が1923年(大正12年)に導入した路面電車車両である。軌道線康生町電停 - 岡崎井田電停間の延伸に備えて製造された木造四軸ボギー車で、岡崎市内線では希少な大型車両であった[2][注釈 1]。名鉄合併後、本形式はモ530形と改称・改番された[2]。
岡崎電気軌道100形電車 名鉄モ530形電車 | |
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101号(後のモ530形531) | |
基本情報 | |
運用者 | 岡崎電気軌道・三河鉄道・名古屋鉄道 |
製造所 | 名古屋電車製作所 |
製造年 | 1923年(大正12年)6月 |
製造数 | 2両 |
廃車 | 1963年(昭和38年)8月 |
投入先 | 岡崎市内線・岐阜市内線(未使用) |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
車両定員 | 70人(座席30人) |
自重 | 15.2 t |
全長 | 11,582 mm |
全幅 | 2,886 mm |
全高 | 3,949 mm |
車体 | 木造 |
台車 | ブリル76-E1 |
主電動機 | シーメンス D561 |
主電動機出力 | 37.3 kW |
搭載数 | 2基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
歯車比 | 3.58 |
制御装置 | 直接制御 OA-6 |
制動装置 | SM-3直通空気ブレーキ、電気、手 |
備考 | 諸元は1955年現在[1] |
名古屋電気製作所製の12m級ダブルルーフ車体を備える木造ボギー車である[5]。8m級二軸単車だった従来の車両の定員42-50名(座席10-14名)に対し本形式は定員70名、座席22名に増加しており、輸送力が向上している[6][7]。窓は前面3枚、側面12枚で側面窓配置はV 2 2 2 2 2 2 V(V:乗降デッキ、数値は側窓の枚数)[8]。窓の框は上部が曲線状になっていたが、モ532(旧102)は後年に前面中央窓が直線化されていた[5]。前面中央窓の下には前照灯、上部には方向幕を装備する[5](前照灯は太平洋戦争終戦後、屋根上に移設された[9])。乗降口は原型ではオープンデッキだったが、1953年(昭和28年)にモ532(旧102)、1955年(昭和30年)にモ531(旧101)、に扉が取り付けられた[9]。
台車はブリル製76-E1[10]、車体下部にはトラス棒を備える[2]。空調設備としてトルペード形ベンチレーターをダブルルーフの採光窓の箇所に左右5基ずつ装備[5]。当初は2両ともベンチレーターの突端を地面に向けていたが[11]、モ531(旧101)は後に進行方向に変更された[5]。
主電動機はシーメンス製D561(50 馬力)を2基搭載。制御装置は同社製OA-6直接制御器を使用[7]。制動装置はこれまでの単車が装備した手ブレーキ等に加えてウェスティングハウス・エレクトリック製SM-3直通空気ブレーキが設けられた[12][7]。集電装置は車体前後にトロリーポールを各1本搭載したが、1952年(昭和27年)頃にビューゲルに換装された[5]。
主に福岡線直通運用(福岡町駅 - 大樹寺駅間)に使用された。岡崎市内線唯一[注釈 1]の大型車であり、朝夕ラッシュ時の輸送力確保に役立ったという[9]。
1962年(昭和37年)に岡崎市内線が廃止されると岐阜市内線へ転属したが、同線で使用されることはなく、翌1963年(昭和38年)8月に廃車解体された[9]。
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