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日本のゲームクリエーター、プロデューサー、作詞家 ウィキペディアから
山元 哲治(やまもと てつじ、1961年1月28日 - )は、日本のゲームクリエーター、プロデューサー、作詞家。
株式会社バンダイ、株式会社ウィズ、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を経て、現在はゲーム制作会社である株式会社epicsの代表取締役社長兼CEOに就任している。
東京都八王子市生まれ。小中学校を世田谷区~渋谷区で過ごし、石川県立金沢商業高等学校を卒業。
株式会社バンダイ、株式会社ウィズ、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントを経て、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の創業メンバーとしてPlayStationの立ち上げに尽力。ジャンルに捉われないユニークなアイデアの数々で名作を生み出し続け、ヒットメーカーとして多大なる功績を残した(PlayStation20周年企画! PlayStationの名作を手掛けたプロデューサーたち)。
手掛けた作品は、『ジャンピングフラッシュ』『ポポロクロイス物語』『I.Q Intelligent Qube』『がんばれ森川くん2号』『やるドラ』シリーズなど多数。
2006年SCEを退社し、現在はゲーム制作会社、株式会社epicsの代表取締役社長兼CEO。
1980年代後期、EPIC SONY RECORDSニューメディア部GS制作課のディレクターだった山元は、企画ネタを探している最中にアニメ制作会社の社長にTVシリーズ『ポポロクロイス物語』の企画書を紹介される。
この時点では、このTVシリーズの企画書は数年前にボツになったものだったが、ゲーム用の企画ネタとして使えると判断した山元は、スーパーファミコンソフトのゲームとして企画を立てて会社に提案した。
ところが、ソニーと任天堂が共同開発したスーパーファミコン互換機であるPlayStation事業が立ち上がり、急遽、スーパーファミコン互換機PlayStation専用ソフトとして『ポポロクロイス物語』の企画を練り直し、企画書を書き直した。
しかし、同事業は諸般の事情により発売が頓挫。ソニーは独自制作によるゲーム事業進出を決め、現在のPlayStationが生まれる。これにより、同ソフトの企画書は三度めの書き直しを行うことになり、本格的な制作がスタート。現在のPlayStation『ポポロクロイス物語』はそれから3年半後の1996年7月12日にリリースされた。
『ポポロクロイス物語』の原作者、田森庸介とは二十数年の付き合い。『ポポロクロイス物語』『ポポローグ』『金と月のマヤ』など田森作品の原作権は山元が代表を務める株式会社epicsがライツ活動を行っている。
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