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日本の漫画家 ウィキペディアから
小澤 さとる(おざわ さとる、1936年2月3日 - )は、漫画家。埼玉県川口市出身。北海道函館市在住。本名:小沢暁。別名:小沢さとる・北沢力。代表作に潜水艦漫画『サブマリン707』、アニメ化された『青の6号』など。名義に「小澤さとる」と「小沢さとる」があるが意図して少年向けには「小沢さとる」を、青年向けには「小澤さとる」を使用している。海洋SF漫画の先駆者で、多くの漫画家・アニメーターに影響を与えている[1]。ヒット商品となった「ロボダッチ」や「チョロQ」の開発にも携わり、生みの親として知られる[2][3]。
1950年代半ば、高校在学中にアルバイトを探していた際、知り合いの編集者に「君、器用だから やってみないか」と手塚治虫のアシスタント業務を紹介され、「製図ができるならベタも塗れるだろう」とアシスタントを務める。アルバイト先はトキワ荘ではなく、手塚が当時仕事場にしていた旅館であった。旅館の大部屋では石ノ森章太郎、松本零士、 桑田次郎、 横山光輝が作業しており、小澤は小部屋で一人、色塗りなどした。一人で作業をしていたため、編集者は何も知らず、「手塚先生の秘密兵器か」などと勘違いされたという[1]。
立教大学在学中の1957年『ルミ死なないで』で漫画家デビュー。
漫画業には興味がないところを編集者陣から必死の説得により、川口工業高校在学中から漫画を発表。「夏休みと正月休みだけは外せない」と交渉し、一時は手塚治虫の数倍の原稿料を得る。少女漫画、忍者ものも手がけていたほか、艦船ものについては漫画界の先駆者といえる存在となった。昭和38年に発表された『サブマリン707』シリーズで一世を風靡した。1970年代に人気を集めた今井科学のプラモデル・ロボダッチのキャラクターデザインと原作も手がけていた。
本業はエンジニアであり、漫画は副業だった。新日本製鐵、日野自動車などの企業を渡り歩いて、主にシステムメンテナンスを担当していた。
その後十二指腸潰瘍を発症し、転業、転地療養を医師から申し渡された事から、1970年代以降は漫画家としての仕事量を減らしている。
1983年に交通事故に遭い、エンジニアとしての本業も辞める事となる。直後はペンすら持てないほどの半身麻痺状態であり、執筆活動を断念。
しかしその後、驚異的に回復し、1992年に『サブマリン707F(FUSION)』で執筆活動に復帰。
1988年から北海道紋別郡遠軽町に居を構えており、2007年12月に函館市に転居。
2003年日経キャラクターズにて『新サブマリン707 2万3千年の航海』を連載。
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