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小山 三郎(こやま さぶろう、1885年(明治18年)3月16日[1] - 没年不明[注 1][注 2] [注 3][注 4][注 5]は埼玉県出身の土木技術者。台湾総督府の技師として日本統治時代の台湾各地で鉄道敷設に関わった[注 6]。
1885年(明治18年) - 埼玉県大里郡熊谷宿(熊谷市の前身)で出生[1]、本籍は東京市芝区三田綱町(現・東京都港区三田)[1]。 父・保政も逓信省、臨時台湾鉄道隊の鉄道技師で、日本統治直後の台湾で鉄道調査、鉄道整備に従事し、1899年に病死している[6]。
1935年(昭和10年)の新竹・台中地震後は震災調査委員会の委員として被害調査および復旧事業などを担った[10][13]。泰安旧駅(台中市豊原区)には小山による地震記念碑が現存しているほか[14]、屏東線の下淡水渓鉄橋(旧橋)建設で殉職した友人の技師飯田豊二の記念碑を建てている[15]。
叙位
勲等
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