天竺徳兵衛
江戸時代前期の商人・海外渡航者。のちに歌舞伎等で妖術使いのキャラクターとなる / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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天竺 徳兵衛(てんじく とくべえ、慶長17年(1612年)? - ?[注釈 2])は、江戸時代前期の人物。播磨国高砂(現在の兵庫県高砂市)の人。日本人の海外渡航が禁止される以前の寛永年間、10代で朱印船に乗り、当時「天竺」と認識されていたシャム(現在のタイ、当時はアユタヤ王朝)へ2度にわたって渡航した。晩年に剃髪して宗心を名乗り、かつての海外渡航での見聞をまとめたとされる。
いわゆる「鎖国」下の海外への関心・興味の中で、その海外渡航譚は写本が重ねられ、虚実の入り混じった形で流布した。高砂の徳兵衛は「近世社会で最も知られた、海外渡航を経験した人物の一人」[5]となり、やがて「天竺徳兵衛」の異名で語られる、娯楽性を強めた物語の主人公となった。さらに浄瑠璃や歌舞伎などの作品では、先行キャラクターの要素を取り込んだことで「日本転覆を目指す蝦蟇の妖術使い」として登場することとなり、「天竺徳兵衛もの(天徳もの)」と呼ばれる一ジャンルを生み出した。