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外輪船(がいりんせん)は、推進器として水車型の装置である外輪を使う船。外車船・パドル船とも。
英語では、総称としてはpaddlewheelerで、特に外輪式蒸気船をpaddle steamerと呼ぶ。また、左右の舷側に外輪を持つ船をsidewheeler、船尾(stern)に1つの外輪を持つ船をsternwheelerと呼ぶ。外輪はpaddle wheel(side wheel、stern wheel)と呼ぶ。
初期の動力船は外輪船だったが、現代ではスクリュープロペラを使うスクリュー船にほとんど取って代わられた。
現代の観光地などの外輪船は、推進器は別にあり外輪は推進による水流を受けて回る単なる飾りであることもある。
外輪は抗力による推進器であり、かつ回転面に平行(回転軸に垂直)な推進力を生む。これは、スクリュープロペラが揚力を利用し、かつ回転面に垂直(回転軸に平行)な推進力を生むのと大きな違いである。
抗力による回転装置は、単純な構造では回転軸に垂直な力を取り出すことができない。そのため垂直軸風車などでは抗力の不均衡を生じるための工夫がされる。しかし外輪では、単に半分を水上に出すことで抗力が不均衡となり、回転軸に垂直な一方向の抗力だけを利用することができる。
記録に残る最初の外輪船は、古代ローマのウィトルウィウスの『デ・アーキテクチュラ』によるものである。しかし、船の動力が人力であった時代には、外輪はほとんど使われず、主流は櫂(抗力式)や艪(揚力式)だった。
中国の歴史書『南史』によれば、418年の王鎮悪率いる水軍の活動として人力推進の戦闘艦の記録がある。明確に外輪の記述があるものは552年の梁の水軍が侯景の乱に対して使用した「水車」と呼ばれる外輪船である。同時期に「双輪」「歩艦」とも呼ばれる船の記録があり、踏み車を利用していたと考えられる[1]。
唐代以後、中国水軍では外輪船は実力を認められ、宋代には船尾外輪や船首に衝角を装備した船や、舷側外輪一側を20から30付け戦闘員を200 - 300人載せられる「海鰍船」と呼ばれる大型の外輪船が登場した。外輪船の発達はモンゴル軍によって宋が滅ぼされるまで続いたが、外洋航行ができなかったために元の時代には廃れてしまった。
ロバート・フルトンによる最初期の蒸気船の推進力は外輪であった。回転運動を出力する蒸気機関と、工学的に相性がいいからである。
1845年、イギリス海軍が外輪船とスクリュー船で綱引き実験を行った。推進装置以外はほぼ同じ姉妹スループ艦の外輪船アレクトー(HMS Alecto, 1839 - )とスクリュー船ラットラー(HMS Rattler, 1843 - )が競い、スクリュー船が勝利した。これによりスクリューの優位性が広く知られるようになった。
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