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塚原 渋柿園(つかはら じゅうしえん、1848年4月4日(嘉永元年3月1日) - 1917年(大正6年)7月5日)は、明治時代の小説家。
鉄砲方の与力を務める代々の幕臣の家で市之丞昌之とタキの子として生まれる。本名は靖(しずむ)。1868年(明治元年)徳川家に付いて静岡藩士となって静岡に移り、沼津兵学校、静岡医学校,浅間下集学所で洋学を学ぶ。一時小学教員となるが、1874年横浜毎日新聞に入社、1878年東京日日新聞に変わり、雑報記者として劇評が紙面の売り物になっていたが、1888年に翻訳小説「凱法居士」、1889年に政治小説「条約改正」、1893年に「人造洪水」、1904年に社会主義小説「虚無黨」など新聞小説家として一世を風靡し、萬朝報の黒岩涙香と人気を二分した。1892年に最初の歴史小説「敵討浄瑠璃坂」を連載してからは、多くの歴史小説、髷物小説を書いた。蓼洲(りゅうしゅう)、志かま(しかま)、十四庵(じゅうしあん)、縦死(じゅうし)、自由思園(じゆうしえん)、時迂叟(じうそう)など多くの別名を持つ。
東京日日の劇評はやがて新しく入った岡本綺堂に書かせるようになり、渋柿園が多くの薫陶を与えた。渋柿園の小説は文語文であるが、後に中学時代の大佛次郎も「間に合わせでない厳格さ」を感じて愛読し、自身の歴史小説にも影響を受けた[1]。
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