堺市歌
ウィキペディアから
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1935年(昭和10年)に制定され[1]、タイヘイレコードが佐伯富美子の歌唱によりSPレコードを製造した。制定に当たって歌詞の公募等は実施されず作詞は詩人の安西冬衛、作曲はヴァイオリニストの佐藤吉五郎にそれぞれ依頼されている[2]。
1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結後は演奏の機会が失われ、1959年(昭和34年)の市制70周年を記念した現行の2代目「堺市民の歌」(作詞・中川至誠、補作・竹中郁、作曲・平井康三郎)制定に伴い廃止された。
1番の「三陵」は百舌鳥古墳群のうち、天皇陵に比定されている田出井山古墳(百舌鳥耳原北陵、伝反正天皇陵)・大仙陵古墳(百舌鳥耳原中陵、伝仁徳天皇陵)・上石津ミサンザイ古墳(百舌鳥耳原南陵、伝履中天皇陵)のこと。
2番の「東洋のベニス」は戦国時代に堺を訪れた宣教師のガスパル・ヴィレラが、自由都市としての繁栄ぶりをヴェネツィア(Veniceはヴェネツィアの英語名)になぞらえて「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と記したことに由来する堺市の雅称である。
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