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一筆の土地に関する多様な登録情報 ウィキペディアから
地籍(ちせき、cadastre)とは、土地の登記 (registration) に近い言葉ではあるが、一筆の土地についての現在及び過去のあらゆる情報を示す。 この場合の一筆の土地とは、登記されるであろう土地(国公有地)を含む。
この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
本項目の英語版では以下のように説明されている。
日本の国土調査法第1条には次のように述べられている。
この場合の地籍は、土地の登記情報及び土地の位置・形状・面積・筆界など地図(不動産登記法第14条に定められた地図)に関する情報を指していると思われるが、登記情報の根拠となるものが地図情報であるから、この場合の地籍は登記情報とほぼ同義である。わが国において地籍といえば、この意味で使われることが多い。
また土地の登記とは平たくいうと、登記簿または台帳に所在、地番、地目、地積、所有者などの事項を記入することである。 不動産登記法は、
としているが、 日本で歴史的にみれば、登記の目的は貢租の徴収であることは疑いの余地がないところであり、現在においてもこれを主目的とするところから脱却してはいない。すなわち、「不動産の表示」に関する制度としての「登記」は、国民の権利を守るための最小限の制度であって、これから述べる地籍とは性質を異にするものである。
日本史において地籍という言葉自体は、日本書紀にまでさかのぼって見ることができる。大化の改新が行われ班田収授の法が定められたころである。これはやはり貢租の徴収を目的としたものであって、いまでいう登記と何ら違いはない。
鎌倉から江戸時代にかけては、課税地の調査として検地が行われた。これは、土地の位置・形状・面積などを調査するのが目的ではなく、収穫高から年貢料を決めるのが目的であった。
登記とは違う意味で地籍という言葉が使われ始めたのは、明治7年の地籍編成事業であろう。 地籍編成事業の目的は、民有地のみならず官有地も調査して地図を作ることにあったが、地租改正事業とも重なったため、 地租改正により作製された改租地引絵図を基に作製したようである。この時、課税地である民有地のみを調査することとは明らかに違った意味で、地籍という言葉を使ったものと思われる。 地籍という言葉がはっきりとした形で現れたのは、明治21年松方正義が起草した地籍条例案であろう。「地籍は土地の面積を正し、その所有者を明らかにし、地租を賦課する基礎にして、財政上の要具たるのみならず、国家の判図またこれにより定まる。その関係するところ、実に大なりというべし。」[1]
また、地籍を人についての戸籍と似た意味合いで使うむきもあるようである。この場合の地籍は、土地登記情報及びそれ以前の土地台帳[2]など、またそれに付随する図面類などを含め土地の沿革に関する情報を総じて示していると思われる。
国際測量者連盟(FIG)は地籍についてCADASTRE 2014として以下のように提唱している[3]。
以上のことから、地籍とは正確な地図を作製することはもとより、官民問わず全ての土地を網羅し、 かつその使用目的は多種多様であるため、その利活用をも充分に考慮された情報といえる。 さらに単純には、正確な地図にリンクされた、登記を含む土地に関するデジタルデータということになるが、これはGIS(地理情報システム)を念頭に置いていることはいうまでもない。
わが国では、登記とあわせて地図の維持管理は法務局が行っているが、地図の維持管理はすなわち土地の境界(筆界)に関する一元的な情報管理または境界の精度の維持管理にも係わり、地図及び境界に関してはより高度なシステムが要求されることになろう。
上記CADASTRE2014を踏まえ、基本的課題として以下の点が挙げられる。
尚、地籍図(英: cadastral map)[4]については、日本では国土調査法の地籍調査による地籍図や、それ以前の明治期の地租改正事業等で作られた地図のことを示すことがあるが、ここで述べる地籍とは意味合いが異なる。また、現在行われている国土調査法による地籍調査についても上で述べたとおりである。
米国では、土地管理局(BLM)内の地籍調査がすべての公有地の記録を管理している[5][6]。このような調査には、土地の使用履歴、法的報告書、その他の文書を詳細に調べる必要があることが多い。
公有地測量制度は、米国の国際承認後の1785年に法律で創設された米国の地籍調査である[7][8][9]。ドミニオン・ランド・サーベイ(Dominion Land Survey)は、カナダ西部で実施された同様の地籍調査で、1867年のカナダ・ドミニオン(Dominion Canada)創設後、1871年に開始 された。
中世以来、フランス語圏のベルギー(リエージュとナミュール周辺)では、地所、特にリエージュ領主の境界を定めることを目的としたセルクルメナージュ(cerclemenage)と呼ばれる地籍調査が行われてきた。この用語にはいくつかのバリエーションがある。
ベルギーの地籍は、もともと1830年以前のフランスの地籍から発展したものである[10][11]。
当初、ベルギーの若い地籍行政は、ナポレオン政権時代の決定を踏襲していました。
ロシア帝国の時代には、地籍調査や図上測量は、その土地の所得を把握し、土地に適正な税金を課すための評価を意味していました。現在では、地籍調査中に得られたデータはRosreestrに入力される[12]。この過程で最も重要なことの一つは、隣接する領地の所有者と設計上の解決策を調整することである。
1836年、英国王立工兵隊のロバート・ドーソン大佐が、地籍調査委員会への出向経験をもとに、地籍調査を提案しました[13][14][15]。
スペインの地籍は財務省の管轄にあり、地籍総局を通じて、都市部と農村部の不動産が記述されている。地籍は20の英数字で構成されており、都市部では、最初の7桁は区画番号を示し、次の7文字はその土地が位置する地籍簿を示し、次の4文字はその土地内の特定の場所を示し、最後の2文字は可能性のある土地を検索するための制御文字となっている[16]。 農村部では、州(2桁)、市区町村 (3桁)、部門 (1文字)、多角形データ (3桁)、区画 (5桁)、区画内の物件 (4桁) が表示され、最後の2文字は制御機能を果たす[17]。地籍は地籍局を通して、不動産税の領収書や売買証書、最新の居住証明書などから参照できる[18]。
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