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元は、1898年(明治31年)に山陽鉄道がアメリカのロジャーズ・ロコモティブ・ワークスで4両(製造番号5229 - 5232)を製造した、車軸配置2-6-0(1C)、2気筒単式の飽和式テンダ機関車である。山陽鉄道での形式は14形、番号は製造番号と同順で82 - 85とした。これらは、ボールドウィンの仕様書を示して、ロジャーズ社に発注されたもので、7形(後の鉄道院8350形)と大差ない。同様の経緯で、車軸配置4-4-0(2B)形のテンダー機関車(13形。後の鉄道院5950形)11両が発注されている。
形態は典型的なアメリカ古典形で、ボイラーはストレートトップ型、第2缶胴上に蒸気ドームが、第1缶胴上に砂箱が設けられていた。また、煙室の側面から端梁にはブレース(支柱)が渡されている。炭水車は3軸で、後位側が2軸ボギー台車とされた、片ボギー式である。ロジャーズ社の様式に則り、運転室は鋼製の大型なものだが、その全長のうち3分の2はボイラー火室が占めている。そのためボイラーが短く見え、ずんぐりとした印象である。
1906年(明治39年)の山陽鉄道国有化にともなって国有鉄道籍となり、1909年(明治39年)に制定された鉄道院の車両形式称号規程により、8400形(8400 - 8403)と改称された。
山陽鉄道時代は、糸崎・広島間の勾配区間用に使用された。国有化後は豊岡・鳥取間の山陰線で一時使用された後、大正の中期には再び糸崎に戻って山陽線の岡山・広島間で使用された。その後は、姫路や一部は王寺に移って和歌山線で使用されたが、晩年は入換用となって動力逆転機を装備し、神戸港、東灘、梅小路などで使用された。
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